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ダイアナ元妃の「真実」はどこに?
-25年前のBBCによる「不正」が明るみに

在英ジャーナリスト  小林 恭子

 ダイアナ元英皇太子妃が亡くなって24年近くが経つが、私たちの多くが彼女のことを忘れていないのではないか。1997年8月31日、元妃はパリ滞在中に交通事故に遭って、命を落とした。享年36歳。
 死の2年程前に行われたBBCテレビによる元妃の独占インタビューが最近、改めて注目を浴びている。元妃が夫チャールズ皇太子と愛人カミラさんの関係について触れ、「結婚生活には3人いました」、「ちょっと混んでいましたね」と冗談交じりに話す場面がある、あのインタビューである。
 ダイアナ元妃は1981年に13歳年上のチャールズ皇太子と結婚し、2人の子供をもうけた。幸せの絶頂にあるかに見えたが、実際には王室の生活になじめず、80年代半ばには摂食障害や自傷行為に苦しんだ。夫婦関係は冷却化し、皇太子は結婚前につきあっていた既婚女性カミラさんとよりを戻す。元妃自身も複数の男性と関係を持った。
 夫婦の愛憎劇はメディアの格好の取材ネタとなっていく。夫妻自らが情報を提供する場合もあった。92年6月、作家アンドリュー・モートン氏による『ダイアナ妃の真実』で夫婦の破綻が暴露されるが、そのネタ元はダイアナ元妃自身であることが後に判明する。同年末、2人は別居。94年にはチャールズ皇太子が民放ITVの番組の中でカミラさんとの不倫を認めた。
 自分の身辺情報が次々とメディア報道される中、「周囲の誰かが情報を漏らしている」、「王室が私を追い出す陰謀計画を立てている」とダイアナ元妃は思うようになったと言われている。「自分の言葉で自分の思いを国民に直接語り掛けたい」。そんな風に考えていた元妃は、弟のスペンサー伯爵からある人物を紹介された。それがBBCの調査報道番組「パノラマ」のマーティン・バシール記者だった。
 BBCにとって、時の人物ダイアナ元妃のインタビュー取り付けは大スクープだった。1995年11月20日に放送された「パノラマ」を英国内では有権者の半分にあたる約2300万人が視聴した。


バシール記者(右)はBBCの番組「パノラマ」の中でダイアナ元妃をインタビューした
(BBCニュースのウェブサイトより)

  疑惑から調査委員会の設置へ

 しかし、当時それほど著名ではなかったバシール記者がなぜこのような大物インタビューを確保できたのか?番組放送当時から「何か不正なことをしたのではないか」という疑問の声がほかのメディアからあがっていた。
 問題が再燃したのが、昨年秋。番組放送から25年に当たり、複数のメディアが「パノラマ」を振り返る報道を企画。取材依頼を受けた一人がスペンサー伯だった。不正な取材行為への疑惑があることを知ったスペンサー伯がBBCに問い合わせをしたことが発端となり、ティム・デイビー会長が独立調査委員会を立ち上げた。委員長は元最高裁判事のジョン・ダイソン氏である。今年5月20日、委員会は120余頁の報告書を発表した。BBC及びバシール記者は大きな批判の的となった。
 報告書によると、バシール記者はダイアナ元妃に近づくため、まずスペンサー伯にアプローチ。伯爵の元警備担当者がスペンサー家の個人情報をメディアや情報機関に漏らし、その見返りとして報酬を受けていたことを示す銀行明細書を見せた。以前から元警備担当者に疑念を抱いていたスペンサー伯はバシール記者を信頼した。
 次に、ダイアナ元妃とチャールズ皇太子の側近が身辺情報を情報機関に売っていることを示す明細書を見せた。「ただ事ではない」と感じたスペンサー伯は姉に連絡を取り、3人の会合を設置する。これを機にバシール記者は元妃と知己を得て、数回2人だけで会い、元妃からインタビューの承諾を得た。
 すべての始まりは最初にスペンサー伯に提示された銀行明細書であった。しかし、実はこの明細書は偽造で、フリーのイラストレーターが作成したものだった(後者の明細書はバシール記者自身が作成した、とダイソン報告書は結論付けている)。
 イラストレーターは記者に「急いで作るように」言われて作成したが、その使用目的については詳細を知らなかった。後日、「パノラマ」を視聴して、自分の作品が悪用された可能性に気づき、BBCに連絡を取ったが「心配するな」と言われただけだった。後、このイラストレーターはBBCとの契約を切られてしまう。

  「正直で、高潔な人物」

  イラストレーターが懸念を表明したため、BBC内では、95年と96年に編集幹部が内部調査を行った。バシール記者は「明細書を作成させたが、誰にも見せていない」と繰り返した。何度も問われるうちに「実はスペンサー伯に見せた」と白状したものの、96年当時のニュース・時事番組の編集幹部で後にBBCの会長となるトニー・ホール氏は「経験が少ない記者」による「間違い」としてバシール記者に懲罰を課さなかった。「正直で高潔な人物」として、当時のBBC経営委員会に報告していた。
 これまでの経緯を調査したダイソン報告書は「記者の取材方法に不正があった」、記者は取材相手に対して「不正直だった」、96年のホール氏による調査は「全く役に立たないものだった」とした。スペンサー伯に事の次第を直接聞く作業も行っていなかった。96年以降、バシール記者が偽造明細書をスペンサー伯に見せていたことをBBCは知っていたが、これを広報部は表ざたにせず、「事実を隠ぺいした」。
 デイビー現会長は関係者に「完全かつ無条件に謝罪する」と述べた。ホール元会長はBBC退任後に就いていた国立美術館の職を辞任した。イラストレーターは和解金をもらうことになった。

  なあなあで再雇用

 話はここで終わらなかった。バシール記者は、1998年、一旦BBCを退職。ほかの大手放送局で働いていたが、2016年、宗教問題担当の記者として再雇用されていた。
 その経緯についてBBCは内部調査を行っている。今年6月14日発表の調査は、再雇用でカギを握った編集幹部らはバシール氏による明細書偽造の過去を知っていたが「解決済み」とし、当時の会長ホール氏に問い合わせをしなかった。ホール氏は、下院のデジタル・文化・メディア・スポーツ委員会の公聴会の中で、「再雇用については事前には知らなかった」と述べている。同じく公聴会に出席した元妃のインタビュー時に会長だったジョン・バート氏は、偽造明細書については「全く知らなかった」と説明した。「ダイソン報告書を読んで、初めていろいろ分かった。バシール氏は大ウソつきだ。私たちは騙されたんだ」。

 真実は、どこに?

 この事件には、まだまだ不明な点が多い。  多くの人の常識では、「明細書を偽造させて取材を取り付けるような人物をなぜ解雇しなかったのか」と不思議に思うだろう。筆者もそうすべきだったと思う。
 しかし、英メディアは真実を明るみに出すという目的で、様々な取材方法を取るのが常で、例えば高齢者用ケア施設での虐待を隠しカメラで撮影する手法は「公益のため」に正当化される。ただ、今回の場合はスペンサー伯、引いてはダイアナ元妃を欺いたことになり、道徳上の問題がありそうだ。
 「偽造明細書を使ってでも、インタビューの機会を得る」ことを記者ばかりか、当時の上司(故人)が最優先した可能性は否定できない。
 「パノラマ」によるダイアナ元妃のインタビューは優れたBBCジャーナリズムの1つとしてとらえられており、1990年代を通じて、BBC編集幹部らがこの評判を落とさないためにバシール記者を「許した」のかもしれない。
 また、ダイアナ元妃自身が「番組放送前に何の書類も見せられていない」という手書きのメモを送っていたこともBBC幹部らに「信じたいことを信じる」ための根拠を与えた。
 バシール氏の再雇用についてはあまりにも「なあなあ」の人事であり、開いた口がふさがらない。
 バシール氏はダイソン報告書発表前に健康上の理由からBBCを退職している。また、一連の明細書は「インタビューの取り付けとは全く関係ない」と今でも主張している。

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