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「親もなく、妻なく、子なく、版木なし、金もなければ死にたくもなし」

 独立メディア塾 編集部

 林子平(1738年8月6日~1793年7月28日)は仙台藩士だったが、北海道・松前から長崎まで全国を行脚し、ロシアの脅威を説いて『三国通覧図説』『海国兵談』などを著したが、危険な書として発禁処分にされ、自宅謹慎の身になった。妻子を持たなかったうえに、印刷用の版木まで没収され、「六無斎」と名乗った。

  「日本橋からオランダまで境なしの水路」で発禁

 林子平は1785(天明5)年に「三国通覧図説」を世に出した。三国とは朝鮮・琉球・蝦夷だ。そして1788(天明8)年に「海国兵談」を出版した。
 「海国兵談」は海防の必要性を説く軍事書だったが、出版するための版元が見つからず子平は、大著の版木を自ら彫り、自費出版で刊行した。1791年、仙台で上梓されたが、ともに発禁処分になり、「海国兵談」は版木没収の処分を受けた。
 「海国兵談」は「境なしの水路」と題する一節が有名になった。
 「江戸の日本橋より唐(から)阿蘭陀(おらんだ)まで境なしの水路なり 然(しか)るに此に備えずして長崎にのみ備えるはなんぞや」(「林子平言行錄」秋山梧庵編著)

 版木没収、発禁、そして自宅謹慎の処分を受けた子平は不遇な一生を終えたが、その心境を「親も無く 妻無く 子無く 版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と嘆き、自ら六無斎(ろくむさい)と号した。
 寛政5年6月21日(1793年7月28日)死去。享年56。

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