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「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

 独立メディア塾 編集部

 松浦 静山(まつら・せいざん=1760年3月7日~1841年8月15日)の言葉。プロ野球の故野村克也監督の名言と間違える人が多い。松浦は肥前国平戸藩の藩主で、「心形刀流(しんぎょうとうりゅう)」と呼ばれる剣術流派の達人だった。剣術書『常静子剣談』では剣術の心技を解説した中にこの名文句がある。静山は20年間にわたる随筆集『甲子夜話(かつしやわ)』278巻を残した。

 ジャーナリスティックな「甲子夜話」278巻

 静山は平戸藩六万石の藩主。62歳の文政四(1821)年11月17日から「甲子夜話」を書き始めた。この日は甲子(きのえね)にあたった。旗本の逸話や市井の風俗,政治,外交,軍事など幅広い出来事を、死ぬ1841年まで20年にわたって書き続けた。  
               高野澄・編訳の「松浦静山(まつら・せいざん)甲子夜話」によると静山は「異常に旺盛なる好奇心、情報収集の身の軽さ、この点で松浦静山の右に出る者はいない。『甲子夜話』三篇(正編、続編、未刊編)、計二百七十八巻は、江戸時代随筆の一大典型として差支えない」と言われるくらいで、「市井に起こるジャーナリスティックなことがらも大いに書き記している」。
 どのようなことが書かれているか。同書からタイトルだけ引用すると「下賤好みに徹した某名士」「賄賂を取って死罪」「どぶろくに酔って犬が死ぬ」「斬首の方法を問う」…。
 1812(文化9)年、伊能忠敬が3カ月間、平戸を測量した。忠敬は交際範囲が広く、日記には間宮林蔵、司馬江漢など多くの著名人が登場する。静山もその一人で、忠敬は測量後に平戸藩領の地図を静山に提供することを約束したが、忠敬が存命中は果たされなかった。

 「勝ちに不思議な勝あり…」については大手新聞を含めて誤解したジャーナリストが野村克也氏の名言として紹介している。例えば、2021年6月17日の日本経済新聞朝刊。4面の「負けに不思議な負けなし」という記事で「野村克也元監督の名言として広まった」と書き出している。
 松浦の原文は次の通り。


 「予(よ)曰(いは)く。勝に不思議の勝あり。負に不思議の負なし。問、如何(いか)なれば不思議の勝と云う。曰く、道を遵(とおと)び術を守ときは、其(その)心必(かならず)勇ならずと雖(いへ)ども勝ち得る。是(この)心を顧(かへりみ)るときは則(すなはち)不思議とす。故に曰ふ。又問、如何なれば不思議の負なしと云ふ。曰、道に背き術に違(たが)へれば、然るときは其負疑ひ無し、故に爾(なんじ)に云(いふ)、客(きゃく)乃(の)伏す」。

 以下、現代語訳。

 「私は、『勝つときには不思議の勝ちがある。しかし、負けるときには不思議の負けということはない』と客に言った。客は『なぜ不思議の勝ちと言うのか』と質問をしてきた。私は『本来の武道の道を尊重し教えられた技術を守って戦えば、たとえ気力が充実していなくても勝つことができる。このときの心の有り様を振り返ってみれば、不思議と考えずにはいられない』と返答した。そうすると客は、『どうして不思議の負けはないと言うのか』と質問してきた。私は『本来の道から外れ、技術を誤れば、負けるのは疑いのない事だから、そう言ったのだ』と答えた。客は恐れ入って平伏した」。

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