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「作品を創造するためには、死者が出てもしかたがない」
「評伝 黒澤明」(堀川弘通)から

 独立メディア塾 編集部

 黒澤明(1910年3月23日~ 1998年9月6日)は日本を代表する映画監督。「姿三四郎」「酔いどれ天使」「生きる」「羅生門」「七人の侍」「用心棒」などの作品を監督、国際的な賞を多数獲得した。

 黒澤明の代表作であり、日本映画の代表作である「七人の侍」について、映画監督、堀川弘通(1916年12月28日~ 2012年9月5日)は次のように回顧している。
 豪雨の中での「七人の侍」の戦闘シーン。撮影現場は泥の海。夜盗が乗馬で村の広場をかけぬけるところを、村人が寄ってたかって竹やりを突き付ける。夜盗はたまらず落馬する。ところが乗馬に自信のない俳優は、思い切って落馬できない。ずるずると落馬して引きずられそうになるところを、馬の後ろ脚が俳優の頭を蹴った。興奮してたけり狂う馬、倒れる馬。
 野武士が射った矢が村娘役の女優に当たってしまったこともあった。
 撮影中に死者が出てもいいのか、と堀川が黒澤監督に訴えると、「あゝしかたないね。必ず死ぬとは限らないんだから」という答えが返ってきた。堀川は「小さな弱い犬が死んだ時、嘆き悲しむクロさんが、こと映画となると、『死人が出ても、しかたがない』と突っぱねる。人間とはまことに複雑面妖なものだと思う」と書いている。600頭もの馬を使った戦闘シーンでは5人が骨折、けが人続出だったという。
 製作費2億1千万円は当時の普通の作品の7本分だった。(「黒澤明解題」佐藤忠男著から)

 当時の黒澤の日本映画観は「日本映画は要するにお茶漬けサラサラでしょう?もっとたっぷりご馳走を食べさせて、お客にこれで堪能したと言わせるような写真(映画)を作ろう―これが『七人の侍』」のはじまりですね」。(「世界の映画作家3 3月号」から)

 モノカラ―への黒澤のこだわりを物語るエピソードは数々ある。「椿三十郎」で赤い椿を黒く塗ることによって、白い椿を浮き上がらせた。「羅生門」や「七人の侍」の雨のシーンでは墨汁の黒い雨を降らせた。単純に水の雨では曇り空に雨が溶け込んで見えないためだ(「蝦蟇の油」)。
 18歳のとき、画家の登竜門といわれる二科展に入選したが、文学、演劇、音楽、映画にも引き込まれていった。画家では食っていけない、ということで画家をあきらめ、映画の助監督に応募した。
 照明へのこだわりも有名だ。カメラマン宮川一夫に言ったという。「日の丸のような太陽をバックにして、三船敏郎と京(マチ子)が接吻するところを撮りたい」。(「東宝砧撮影所物語 三船敏郎の時代」から)当時、太陽にレンズを向けるのはタブーだった。「羅生門」は1951年、ヴェネチア映画祭でグランプリを獲得した。

 1960年、日本オリンピック組織委員会から64年の東京五輪公式記録映画の総監督の依頼が来た。黒澤は60年のローマ五輪を視察して準備を進めたが、製作費が市川崑監督の2倍にもなるということで市川監督に代わった。堀川によると、当時、黒澤は「残念そうに『オリンピック記録映画、代々一流の監督は手掛けないんだそうだ』といった。どうも東宝側は、そういう手を使ってクロさんを断念に追い込んだようだ」。

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