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「山は動いた」「勝てっこないとは何事だ」

 独立メディア塾 編集部

 土井たか子(1928年11月30日〜2014年9月20日)は1986年(昭和61年)、日本社会党第10代委員長に就任した。ミニ政党を除くと憲政史上、初の女性党首になり「おたかさんブーム」「マドンナブーム」を起こした。弱体化する社会党を率いて選挙で自民党を過半数割れに追い込み「山は動いた」の名文句を残した。

 1969年、同志社大学、関西学院大学で憲法を教えていた。神戸市の人事委員も務めていた。「土井氏、立候補決意か」という新聞記事を見て、「選挙に出ることはないけれど、そうした報道で神戸市に迷惑をかけてはいけない」と人事委員の辞表を出そうと思った。その時、市の担当者が「誰も本当に出るなんて思っていませんよ。それに勝てっこありません」といったのに対し、勝ってっこないとは何だ、と出馬の気持ちへ変わっていった。(土井たか子半自伝「せいいっぱい」)
 69年12月27日、社会党は134議席から90議席に落ち込み、新顔の土井は全国最後の当選者となった。委員長選では上田哲との争いに勝った。 
 昭和天皇が大量出血して重体と報じられた88年9月19日。翌20日にお見舞いの記帳をしたことが報道されると、抗議や叱声を浴びることになった。しかし「私の見解ははっきりしていた」。憲法研究者の一人として「平和憲法」を評価した。象徴である天皇の部分だけ外して「護憲」という考えは取らない、と明言した。

「青鞜」創刊号に晶子が寄せた詩

 1989年7月23日の参院選は宇野内閣発足後、初の大型選挙だったが、社会党が大勝し、自民党が過半数割れした。この参院選を占うように、直前の7月2日に行われた都議選で、社会党は三倍増の躍進を遂げた。土井は「山は動いた」と叫び、翌日の新聞にはこの言葉が見出しで躍った。
 「山の動く日」は与謝野晶子の詩の一部で、国会の土井委員長の部屋に掲げられていた。平塚らいてうらが創刊した雑誌『青踏』の創刊号巻頭に晶子が寄せた詩だ。土井は学生時代から愛唱していたという。「青鞜」の女性運動は時代を経ても根を張り続けていたといえる。

「山の動く日」
 山の動く日来る
 かく云へど、人これを信ぜじ。
 山はしばらく眠りしのみ、
 その昔、山はみな火に燃えて動きしを。
 されど、そは信ぜずともよし、
 人よ、ああ、唯だこれを信ぜよ、
 すべて眠りし女(おなご)、
 今ぞ目覚めて動くなる。

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