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「なぜだ!議長は俺だ」

 独立メディア塾 編集部

 1982年9月22日、三越の取締役会は10年間、三越を支配してきたワンマン社長岡田茂社長(1914年=大正3年8月3日~ 1995年7月20日)を解任した。「古代ペルシャ秘宝展」のニセ秘宝事件や三越の「女帝」と呼ばれた女性への利益供与などが問題になった。取締役会は解任賛成16に対し反対0。その時岡田氏が発したとされる「なぜだ!」は、その年の流行語となった。岡田氏は「議長は俺だ」と抵抗した。
(1982年9月22日の朝刊各社による)

名門「三越」に不祥事続く

 「岡田社長の社長と代表取締役の解任を提案します。賛成の方はご起立してください」。1982年、三越の取締役会で、ワンマン経営者、岡田茂社長の解任劇の始まりだった。取締役会は、東京・日本橋の本店で17人の取締役全員が出席して開かれた。取締役会の後、記者会見した杉田忠義専務は次のように説明した。
 「議題は商法改正に伴う取締規定改正の件など6件あった。6番目のそのほかの議題に入ったとき、私が岡田社長解任の提案をした。社長を除く全員が起立し賛成した」。平時、議案は岡田社長に代わって、側近の杉田氏が報告するのが手順だった。自分の「懐刀」と思っていた杉田氏による解任提案は岡田にとって裏切りに映ったに違いない。
 岡田社長解任劇の主役は、メーンバンク三井銀行(現・三井住友銀行)の長老小山五郎氏(当時、相談役)だった。三越は「女帝」と言われた服飾デザイナー、竹久みち氏との関係などで揺れていた。グループ発祥の三越の不祥事とあって、小山はグループの総意として動いた、と言われた。
 最初から16人全員が賛成だったわけではない、という話も飛び交った。最初は2人が立たなかったのを見て、小山が「君たち、何をしているのか!」と一喝したという説もある。
 竹久は、三越の宣伝部長だった岡田茂と知り合い、岡田が三越の社長に就任した1972年以降、竹久の会社「オリエント交易」は三越の大口納入業者となった。三越の社内人事にも介入するようになったと言われた。
 「女帝問題」と「ニセ秘宝問題」の前にも、岡田は三越の納入業者に対して映画前売券等の購入を強要したり、三越商品の押し付け販売をしたり、さらには三越と付き合いのある会社に協賛金や社員の派遣を強要した。これらの行為に対して、「優越的地位を濫用した不公正な取引に該当する」として、独占禁止法第19条の審決を受けた。大和運輸(現在の「ヤマトホールディングス」)は創業直後から三越の契約配送業者でしたが、三越からの不当な要求があったことに加えて配送料金の値上げを拒否されたことから、三越との配送契約を解除した。
 10月に入って岡田、竹久は特別背任罪などの容疑で逮捕され、岡田は取締役を辞任した。岡田は1993年(平成5年)に控訴審の東京高裁で懲役3年の実刑判決が出され、上告。係争中の1995年(平成7年)7月20日、腎不全のため死去。80歳。

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