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「書いても書かなくてもよいことをかくところに、新聞紙の生命がある」

 独立メディア塾 編集部

 杉村楚人冠(1872年8月28日~1945年10月3日)は、新聞記者、随筆家、俳人。(「山中説法」から)

 現代の新聞に道を開く

 「朝日新聞社史大正・昭和戦前遍」によると杉村は朝日新聞記者としてロンドン特派員をつとめたあと、第一次世界大戦の開始(1914年)とともに再びロンドンに派遣された。花形記者だった。
 「山中説法」は杉村が「アサヒグラフ」と「週刊朝日」に掲載した連載をまとめたものだ。昭和10年出版された。辛辣な言葉を多数残している。
 「小説家はイマジネーションが衰えて来るに随って、歴史伝記に走る」
  「日本に総理大臣の数が幾つあるかと尋ねた人がある。失礼なことを尋ねるものではない。陸軍大臣がやめても陸軍といふものは厳として残る。農林大臣がやめても、農民はなくならない…。内閣総理大臣がやめたら、内閣も残らない」
 「勝太郎は、新橋から出でず、エノケンは木挽町から興らず」

 若者の向けの“いいこと”も言っている。
 「年少の間は成るべく多くの無用の書を読んでおくがよろし。有用の所は年を取って後にも読む折りがいくらでも有る。無用の書はそういう訳に行かぬ」
 1921年に始まった夕刊コラム「今日の問題」の初代執筆者。著書「新聞紙の内外」では英国の新聞事情を紹介し、記事審査部、新聞記者協会のあり方などを論じた。「タイムス」で見て新聞の切り抜きなどを行う調査部を朝日新聞に導入するなど、現在に通じる改革に取り組んだ。

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