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「僕は世界でいちばん不幸で惨めな人間だ」
(「天才たちの私生活」ゲルハルト・プラウゼ著から)

 独立メディア塾 編集部

 フランツ・シューベルト(1797年1月31日~1828年11月19日)は、オーストリアの作曲家。歌曲「野ばら」「菩提樹」「アヴェ・マリア」など日本人にも愛されてきた曲を多く作った。1814年に歌曲第一号「糸を紡ぐグレートヒェン」を作り、翌年17歳で「魔王」を作った。「冬の旅」など数多くのドイツ歌曲(リート)を完成させ、リートの王と呼ばれた。梅毒に冒されていると知った26歳のとき、自暴自棄になり、友人に不幸を嘆く手紙を書いた。
(「大作曲家たちの履歴書」三枝成彰著、「天才たちの私生活」ゲルハルト・プラウゼ著・赤根洋子訳、「名曲ものがたり」志鳥栄八郎著から)

 「魔王」を作った年、シューベルトは1年間に149曲も作曲した。このころ、シューベルトは代用教員として働いていたにもかかわらず2日半で1曲のペース。翌1816年には112曲。結局、31歳の短い人生で603曲のリートを残した。そのなかで「魔王」には「生々しいほどの感情移入が行われている」「魔王の登場はロマン派の疾風怒濤の音楽時代を告げる幕開けだった」と三枝は評している。
 交響曲は9曲作曲しているが、シューベルトが生きているあいだに公開の席で演奏された交響曲はなかった。「交響曲第八番ロ短調<未完成>」は、長いあいだ行方不明だった楽譜が見つかり、シューベルトが没して37年後に初演奏された。

 「マッシュルーム」のあだ名

 「冬の旅」を作曲した同じ年の1827年3月26日、シューベルトが尊敬したベートーヴェンがこの世を去った。葬儀の後のエピソード。友人3人と酒場でワインを飲んだシューベルトは、グラスを高々と上げて言った。「今、僕たちが葬って来た偉大なる人のために!」。さらに彼はもう一度グラスを掲げた。「この中で最も早く死ぬ奴に乾杯!」。
 まさか、まさか。翌年11月19日、シューベルト自身が息を引き取った。そして生前の希望通り敬愛するベートーヴェンの墓の隣で眠ることになった。
 遺骨の鑑定で身長は150センチ強、大きな頭、短い首などから「マッシュルーム」のあだ名があった。シューベルトは自分の容姿に悩んでいた。女性の愛に恵まれず、深く傷ついていたという。
 死因は梅毒の治療のために投与された水銀による中毒説や魚料理がもとの腸チフス説がある。

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