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「平和を実現するのは女性の仕事」

 独立メディア塾 編集部

 ジャネット・ランキン(1880年6月11日~1973年5月18日)は米国連邦議会の両院を通じて初の女性議員になった。日本の真珠湾攻撃の翌日(1941年12月8日)、フランクリン・ルーズ―ベルト大統領は上・下院に向けて日本への宣戦布告を求めた。470名の議員が「賛成」を投じた。「反対票」はたった一票。それが60歳を超えたランキンだった。
 (「非戦の人 ジャネット・ランキンーーアメリカの良心と呼ばれた女性」から)。

 日本への宣戦、たった一人で反対

 ジャネット・ランキンは1917年4月2日、米国の連邦議会の議場に入った。史上初の女性国会議員の誕生だった。女性の参政権獲得のために活動し、1919年、合衆国憲法に修正第19条として認められた。彼女は自分が国会議員として国民に記憶される「たった一つの行動」があるとすれば「女性に参政権を与えるための投票をした唯一の女性であること」を挙げた。
 しかし女性議員になった彼女を待ち受けていたのは二度にわたる戦争の可否についての投票だった。一回目は議員になってわずか6日目、第一次世界大戦に参戦すべきか、という投票だった。彼女は「反対」を投じた。このとき反対票は49票だった。米国はドイツに対して宣戦布告をした。ランキンの「反対票」は地元モンタナの有権者の反発を買い、次の選挙では落選した。
 彼女は戦争を根絶できないことを悲しみ、落選後は平和運動のリーダーに転じた。しかし「地震に勝てないのと同じく、もはや戦争に勝てない」と危機感を強め、1940年11月、再び下院議員に当選した。そして二回目の投票が日本への宣戦布告だった。今度はたった一人の「反対」票になった。
 ランキンは議会あてに「ルーズ―ベルト大統領は日本の真珠湾攻撃を予測していた可能性がある」と調査を求める声明を出した。二回目の議員生活が終わると、彼女は再選の道を選ばず、引退した。

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