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「石炭は遺物ではない」―55年前のボタ山崩落を見る

在英ジャーナリスト  小林 恭子

 石炭は、かつて「黒いダイヤモンド」と呼ばれた。特に産業革命(1760~1840年)から20世紀初頭まで、最も重要な燃料資源、化学工業や都市ガスの原料として重宝されていた。しかし、今や燃焼時に温暖化ガスの二酸化炭素を大量に放出する「悪役」だ。

 昨年秋、スコットランド・グラスゴーで開催された国連の気候変動対策の会議「COP 26」で議長国となった英国では、温暖化防止のため、2024年10月までに石炭発電の停止を決めている。2020年時点で石炭発電は発電電力の1.8%を占め、「脱炭素化」へとまっしぐらだ。

 筆者がCOP 26について資料を集めていた昨年9月末、ガーディアン紙のある記事が目に留まった。炭鉱業が主要産業だったウェールズ地方南部ロンダ谷の村タイロスタウンで大雨が発生し、石炭採掘に伴い発生する捨て石の集積(ボタ山)が崩れて道路の一部が使えなくなったという。

 ウェールズには過去の石炭産業の遺産ともいえるボタ山があちこちにあり、その大部分は民間企業が所有し、置き去りになっている。気候温暖化によって冬期の雨量が増え、土砂崩れ、洪水、汚染、火災などが発生する危険があるにもかかわらず、である。

 ボタ山崩落から半世紀

 タイロスタウンの住民が恐れているのは、次に大雨が降った時、アベヴァン惨事が再来する可能性だった。アベヴァン惨事とは55年前に発生した、ボタ山崩壊事件のことだ。100人を超える児童が命を落とした。

 当時炭鉱を管理していた全国石炭庁(NCB)が遺族らに賠償金を支払ったものの、金額の大小で揉めた。また、住民側は崩壊しなかった他のボタ山の早期撤去を望んだが、費用が高額になることを理由に政府側はすぐには応じなかった。数年間の交渉の末、政府補助金に加えて、全国の市民による募金で構成される「アベヴァン支援基金」から15万ポンドを強制的に拠出させて、残りのボタ山がようやく除去された。

 現在、ウェールズ地方には少なくとも約2400のボタ山が採炭跡地に置かれたままになっている。そのうちの327が「高リスク」状態にありながら、処理費用をどの政府が負担するかで、ロンドンの政府とウェールズ自治政府とが揉めているという。

 脱炭素化を率先して進める英政府は、アベヴァンの教訓を忘れてしまったのだろうか。

 世界最大の石炭輸出地域

 ウェールズ地方南部は、20世紀前半に世界最大の石炭輸出地域となった。一時は600以上の炭鉱を抱え、30万人近くが働いていた。鉄道や蒸気船の運行に燃料を提供し、大英帝国の発展にも大きく寄与した。



巨大ドリルを使って採掘していた(国立石炭博物館で)
© Amgueddfa Cymru – National Museum Wales

 しかし、1950年代以降、エネルギー源が石油、ガス、原子力発電に移行し、国際市場での競争力も激化。これを受けて、全国的に炭鉱の閉鎖やリストラが行われるようになった。2003年、英国は初めて石油の純輸入国になった。相次ぐ炭鉱閉鎖でウェールズ地方の石炭採掘業は終焉に向かった。

 現在、ウェールズ自治政府は水のろ過作業やセメントあるいは鉄の生産目的でのみ石炭の採掘認可を出しており、エネルギー生産目的では認可しない方針を取っている。

 小学校と民家へ泥、がれき

 1966年10月21日金曜日、朝9時15分。南ウェールズ・アベヴァン村の山腹に置かれていた、ボタ山の1つが崩壊した。集積物は斜面を滑り落ちながら民家を破壊し、その下にあるパントグラス小学校に迫った。

 「ティップ7」と呼ばれたこのボタ山は、高さ34メートル。マーサー・ティドビル炭鉱の採掘で生じた7つのボタ山のうちの1つで、3週間続いた大雨で、大量の水を吸収していた。湧き水が出る場所にまたがって形成されており、崩れ落ちる可能性が何度か指摘されていた。

 山崩れは小学校と20軒の民家を飲み込み、ようやく静止した。144人が死亡。このうち、子供たちは116人だった。土砂は泥や瓦礫を含み、その一部は10メートルの高さにまで積み上がった。

 数百人が現地にシャベルを持って駆けつけたが、午前11時を過ぎると、生存状態で救出された人はいなくなった。全ての遺体が回収されるまでには1週間かかった。

 事件から4日後、政府は原因究明のための特別法廷を立ち上げた。翌1967年7月、裁判官が報告書を発表し、NCBに崩壊を生じさせた責任があると結論づけた。また、ボタ山の設置政策が皆無で、これが直接惨事につながったこと、ボタ山の安全性を規定する法律が欠落していることを指摘した。

 報告書での批判にもかかわらず、NCBの職員及び会長は職を維持。会長は辞職願を出したが、当時の政府が思い止まらせた。144人もの犠牲者を出しても、解雇された担当者はいなかったのである。

 アベヴァンの住民の多くが心的外傷後ストレス障害(PTSD)にかかり、55年後の今でも傷はいえていないという。

 墓碑に子供たちの名前

 1966年当時のアベヴァンの面影は、今、ほとんど残っていない。マーサー・ティドビル炭鉱は1990年に閉山され、山腹は緑で覆われている。

 筆者はロンドンから車でウェールズに向かい、アベヴァンを訪れてみた。

 到着は夕方だった。あたりは暗い。段々畑のように墓石が並ぶ墓地の駐車場に車を止め、上を見上げると、いくつもの白い墓石の列があった。アベヴァン事件の犠牲者が眠る場所だった。

 墓碑には、亡くなった子供たちの名前と享年が書かれていた。筆者が訪れたのは12月上旬で、特別な日とは思われなかったが、いくつかの墓碑前には火がついたろうそくや新鮮な花などが置かれており、住民が定期的に訪れていることが想像された。

 パントグラス小学校の跡地はアベヴァン・メモリアル・ガーデンという名称の追悼場所になっている。

 「見捨てられた」ウェールズ

 翌日、ロンドンに戻る途中で、製鉄業で栄えた町ブレナヴィンにある「ビッグ・ピット国立石炭博物館」に寄ってみた。ここの炭鉱は1980年に閉山したが、ユネスコ指定の世界遺産(2000年)として登録されている。

 筆者は参加しなかったが、実際に炭鉱労働者が使っていたケージ(エレベーター)で300メートルの地下坑道を見学するツアーがある。展示の他に炭鉱員たちが利用したシャワー室、カフェテリアも残されていた。



ビッグ・ピット国立石炭博物館の全景
© Amgueddfa Cymru – National Museum Wales

 アベヴァン惨事についての代表的な著作の一つ「アベヴァン 政府と惨事」(改訂版2019年出版)によると、ウェールズ社会には石炭採掘の伝統について、矛盾するような思いがあるという。まず、炭鉱夫たちの仕事とその犠牲に対する大きな誇りがある。炭鉱夫たちは劣悪な環境の中で長時間働いた。石炭が今のウェールズを作ったという認識がある。

 「しかしその一方で、採炭による環境への影響や人的コストが莫大だったことも理解している。採炭は環境を汚染し、どの炭鉱でも惨事が発生した。英国最大の炭鉱災害は1913年。ウェールズ・センヘニズ炭鉱での坑内ガスの爆発で、439人の坑夫と救助者が亡くなっている」。



「アベヴァン 政府と惨事」の本(筆者撮影)


 本の共著者オックスフォード大学のイアン・マクリーン教授とスワンジー大学のマーティン・ジョーンズ教授は、ウェールズにとって「石炭とは過去の遺物ではない」と書く。大規模な雇用を生んだ炭鉱業に「取って代わるものは現れなかった」。

 アベヴァンがウェールズ住民の記憶に今も鮮明に残っているのは、石炭に相当するものを見つけられなかったために経済が打撃を受けた点が、南ウェールズのどこの村でも共通しているからだという。「1960年代にアベヴァンが当局に見捨てられたように、ウェールズの炭鉱コミュニティは今でも見捨てられている」。

 昨年、ウェールズ自治政府はボタ山の安全性確保を規定する法律の見直しについて、法制委員会に意見公募を委託した。今年早々、結果が発表される予定だ。


(参考)

▽―法制員会による意見公募
▽―The End of Coal Mining in South Wales:Lessons learned from industrial transformation (GSI report)

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