記事応募にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

「スパイの仮面を脱がして」

 独立メディア塾 編集部

 女優岡田嘉子(1902年4月21日~1992年2月10日)は戦前の大女優。軍国主義の時代に、プロレタリア運動の演出家・杉本良吉と1938年(昭和13年)1月3日、国境の樺太を越えてソ連に亡命した。大女優の「恋の樺太逃避行」として日本社会に衝撃を与えた。表題の言葉は1962年6月30日、朝日新聞朝刊から。

 「生みの国日本、育ての国ソ連」と岡田

 「(昭和12年)十一月ごろからは、もう日本全土が戦争気分に巻き込まれていました。ファッショの影は色濃くせまり、日独伊防共協定が結ばれたりして、杉本の同志たちは,手も足も出なくなりました」「彼が一番恐れたのは赤紙でした。召集されれば,思想犯の彼が最悪の場所へ送られるのは明らかです」。
 「『ねぇ、いっそ、ソビエトへ逃げちゃいましょうか』彼はハッとしたように私をみつめました」(岡田嘉子著「悔いなき命を」)。
 
 ソ連で岡田はスパイ容疑で自由はく奪10年、杉本は銃殺。軍事法廷の判決の直後の40年、スパイの汚名をすすいでほしいとノートに8ページの嘆願書を書いた。自分の自白で杉本が銃殺刑になったことへの自責の念を綴った。
 「スパイの汚名は死ぬほどつらい」「スパイの仮面を脱がして」と。
 亡命前の岡田嘉子は新劇、映画でトップ女優の地位を獲得した。帝劇公演の「出家とその弟子」、小津安二郎監督の「また逢う日まで」「東京の女」などで主演した。
 1972年(昭和47年)、35年ぶりに帰国。「悔いなき命を」によると「生みの国の日本を離れ、育ての国のソ連で半生を暮らしてきた私」を宇野重吉、夏川静江、ダーク・ダックスたちが出迎えてくれた。
 その後日本の芸能界に復帰し、映画「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」に出演したが、再びソ連に戻り1992年、モスクワで没した。89歳。

コメント投稿にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

こちらのコメントを通報しますか?

通報しました