記事応募にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

◇①「改良すれば、きっとうまくいく!」
◇②「15歳の盲学校の生徒が考えだしたとは、信じられない!」
◇③「六つの光は輝きて闇の夜は開け初めぬ」

 独立メディア塾 編集部

①ルイ・ブライユ(1809年1月4日~1852年1月6日)。
②石川倉次(1859年2月28日=安政6年1月26日~ 1944年12月23日)。
③左近充孝之進(1870年5月2日=明治3年4月2日~1909月年11月11日)。
 3人は点字の開発者であり、日本での普及に尽くした人たちだ。
 (「ルイ・ブライユと点字をつくった人びと」から)

 軍事研究から始まった点字

 フランス人のルイ・ブライユは3歳の時に馬具職人だった父親の真似をしていて、左目にキリが突き刺さり失明、右目も炎症を起こして5歳の時に失明した。19世紀初めの時代、読み書きは「浮き出し文字」という文字で、アルファベットを紙に浮きだたせたものだった。当然、読み書きは大苦労だった。盲学校で生活していると「目が見えなくても本を読みたい、文字を書きたい」という思いが募った。
 そんな時、退役軍人のシャルル・バルビエが学校を訪れた。彼は暗闇の中で兵士たちが伝言を送ることができる軍事用の「夜間文字」を考案した。1マスに縦6点、横2列に点が並び、計12の点で文字を作る方式だ。しかし軍事用には採用されなかった。バルビエはあきらめられず実際に試してもらおう、と盲学校を訪ねた。一字を構成する点が12個だと文字が大きくなり、指からはみ出してしまう、といった問題点を抱えていた。
 15歳だったブライユはバルビエの点字は「改良すればうまくいく」と思い、改良に取り組んだ。改良の結果は12点を半分に減らし、現在使われている「6点点字」にたどり着いた。「6点点字」は世界に広がり、ブライユの誕生日にちなんで、1月4日は「世界点字デー」になった。
 日本でも石川倉次が仮名文字に当てはめることに成功し、1890年(明治23年)11月1日に数ある案の中から石川の案が日本点字に選ばれた。そして11月1日が「日本点字制定記念日」に定められた。石川は「日本点字の父」と言われている。
 左近充孝之進は日本最初の点字新聞「あけぼの」を発行した。発刊の言葉で「闇の夜は開け初めぬ」と宣言した。毎日新聞が1922年に創刊した「点字毎日」は現在も発行を続けている。

コメント投稿にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

こちらのコメントを通報しますか?

通報しました