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「カップヌードル!それで行こう」

 独立メディア塾 編集部

 安藤百福(1910年=明治43年3月5日~2007年1月5日)は日清食品創業者。インスタントラーメン、カップヌードルの開発者。
 (安藤百福発明記念館編「転んでもただでは起きるな! 定本・安藤百福」、同氏著「食は時代とともに」、安藤仁子「チキンラーメンの女房」から」)

 安藤は日本統治時代の台湾で生まれた。幼いころに両親を亡くし、祖父母のもとで育てられた。織物を扱う呉服屋だったので「商売は面白い」と子供心に思った。
 22歳で独立を決意し、台北市でメリヤス販売を始めた。商売は最初から大当たりしたが、1941年に国家総動員法、生活必需物資統制令が公布され、第二次世界大戦に突入、時代は悪化していった。
 終戦の翌日、疎開先から大阪に出た。街には腹をすかせた子供たちや飢餓状態の人であふれていた。「やはり食が大事だ」と思ったという。1957年、「家庭でお湯があればすぐ食べられるラーメン」の開発に取り掛かった。
 5つの目標を決めた。
 ①飽きない味、②保存性のあるもの、③手間がかからないこと、④安い値段、⑤安全で衛生的
 完成が近づくと、大阪梅田の百貨店で試食販売をした。「さあ、お湯をかけて2分で出来上がり」と言っても客は半信半疑だった。
 しかし需要は爆発した。東京五輪直後の1966年、安藤は初めて欧米視察に出かけた。このとき、カップヌードルのアイデアを思いついた。外国人にチキンラーメンの試食を頼んだが、どんぶりがない。仕方なく乾燥しているチキンラーメンを二つに割って紙コップに入れ、お湯を注いで食べた。食べ終わった彼らは紙コップをポイとごみ箱に捨てた。簡便で後の処理も困らない。ここでカップヌードルのアイデアが生まれた。
 1972年、浅間山荘事件で、雪の山荘を取り囲む機動隊員が湯気の上がるカップヌードルを食べているシーンがテレビで中継された。「あの食べ物は何だ」と問い合わせが殺到し、カップヌードルは、たちまち生産が追い付かなくなった。
 安藤は90歳を超えても週2回のゴルフを楽しんだ。年間100回。こんな言葉も残した。
 「年甲斐もなく1ヤードでも遠くへ飛ばしたいと思う」。

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