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「体育会系の暴力学生、出て行け」

 独立メディア塾 編集部

 1968年、1969年にかけて日本大学で大学闘争が起きた。理工学部教授が裏口入学斡旋で賄賂をもらい、さらに大学の使途不明金と脱税が合計34億円になることが立て続けに明るみに出た。これをきっかけに学生運動が起き、全学共闘会議の闘争が始まった。表題の言葉は1969年6月に出された「倒れた文理生に代わり断固抗議する」という抗議文から。
(「反逆のバリケード 日大闘争の記録」、「バリケードに賭けた青春 ドキュメント日大闘争」、秋田明大著「獄中記 異常の日常化の中で」から)

 昨年(2021年)11月29日、日大理事長・田中英寿容疑者が5300万円を脱税した容疑で逮捕された。10余年にわたる田中の長期独裁政権の背景に、半世紀前の日大闘争を見る人が多い。体育会系が重用される風土と金銭の臭いがふんぷんとする土壌だ。日大紛争を招いた当事者である古田重二良会頭(当時)と今回の主役、前理事長田中容疑者は経歴まで似ている。
 古田は学生時代には柔道部主将として学業より柔道の方に身が入っていたという。日本大学を卒業すると、大学職員と兼務する形式で柔道師範として就職した。
 1949年、理事長に就任し、1958年には会頭に就任した。日大闘争の時、大学側は柔道部、相撲部、アメフト部など体育会系の学生を利用した。全共闘を物理的に抑え込む役割を与えたのだ。その時、相撲部には学生横綱のタイトルを持つ田中英寿がいた。古田は柔道、田中は相撲。田中は古田の後ろ姿を見ながら今日につながる日大の風土を作り上げてきたのだろう。
 古田体制と体育会を糾弾する側の代表は、全学共闘会議議長の秋田明大だった。秋田と田中は同時期に日大に在学していた。秋田は1969年3月12日に逮捕され、「獄中記」を書いた。その「はじめに」という文章で、東大闘争のリーダーだった山本義隆が「日大右翼」の恐怖について書いている。
 「『明けがた右翼が機動隊に守られてバリ(バリケード)破壊に来る』との確実な情報が入った。(略)私は『日大の右翼』と聞いただけでオタついてしまって、正直言って後のことも顧みず逃げ出すことばかり考えていた。実際、『日大の右翼』というのは私たちにとって魔術的恐怖をよび起こすものだ。おまけに校舎はすでに右翼に囲まれている」。
 日大闘争の山場は1968年9月30日だった。両国の日大大講堂で超満員の学生を集めて全学集会が開かれた。「バリケードに賭けた青春」によれば、古田会頭との大衆団交は午後3時から翌10月1日に及んだ。深夜に及ぶ団交で、古田会頭が「辞めます」と表明したとき、会場は異様な歓呼が沸き起こり、紙吹雪が乱舞した。学生の主張が通ったかに見えた一瞬だった。しかしその後、大学が合意事項を白紙にしてしまった。これをピークに運動は下火になっていった。
 古田は日大をマンモス大学に育てた「中興の祖」と評価される一方、巨額の金が動く金権・利権体質を根付かせた、と言われている。今回、逮捕された田中前理事長も日大の「ドン」として存在してきた。
 田中解任の後、理事長を兼務する加藤直人学長らは「来年1月にも『日本大学再生会議』を設置し、3月末には結論を出したい」と会見で述べた。田中容疑者と「永久に決別」し、体制を一新できるか、日大の背負った課題は大きい。

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