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「犬だ。犬。間違いない。2頭だ」

 独立メディア塾 編集部

 1959年(昭和34年)1月14日、南極の昭和基地を目指して、大型ヘリコプター2機が宗谷から飛び立った。無人の基地まで163キロ。飛行時間1時間10分。オレンジ色の昭和基地が見えてきた。その時、「犬だ」「まさか」「間違いない、2頭だ」。
 カラフト犬タロ(1955年10月~1970年8月11日)とジロ(1955年10月~1960年7月9日)は南極地域観測隊に同行した兄弟犬だ。南極に取り残されて1年。2頭だけ奇跡的に生き残った。動物愛護など国民的な議論を呼んだ。
 (「藤原一生著・菊池徹監修「タロ・ジロは生きていた 南極・カラフト犬物語」、嘉悦洋著・北村泰一監修「その犬の名を誰も知らない」から)

 犬ぞりを使うことになった背景には、西堀英三郎の判断があった。政府の南極特別委員会は、すでに雪上車の導入を決めていた。西堀が「雪上車だけではだめだ」と主張したとき、委員会に笑いが起きたという。
 西堀は犬ぞりの実力を知っていた。1911年から1912年にかけてアムンゼン(ノルウェー)とスコット(英国)が争った南極点一番乗り競争で勝ったのはアムンゼン。アムンゼンは犬ぞりを使った。有利とみられていたスコットは電動式そりや馬ぞりを使ったことが敗因になった。
 西堀は雪上車や最新の車両が次々に事故を起こしていることを知っていた。西堀はその後、南極予備観測隊の副隊長、越冬隊長に任命された。
 20頭のカラフト犬、ネコ1匹、カナリア2羽を乗せて宗谷は南極に向かい、1957年1月30日、越冬隊員11人の「昭和基地」がスタートした。
 ほぼ1年が経過した12月、宗谷は南極圏に戻ってきたが、厚さ3メートルの氷に囲まれ身動きができなくなっていた。昭和基地では新しい越冬隊員との交代の準備も進んでいた。ところが突然、11人の隊員の収容が告げられた。交代要員の送り込みはなし。15頭の成犬は南極に残すという決定だった。西堀隊長は毒団子を用意し、飛行機から基地に落とす予定だったが、飛行機は飛べなかった。団子は南極の海に消えた。
 国内の反発は強かった。「カラフト犬を救え」という署名運動が行われ、文部省に陳情書も届けられた。
 タロとジロのほかの犬は7頭が首輪につながれたまま死んでおり、6頭の消息は分からなかった。基地に置いてきた犬の食料などを食べた形跡はなく、「その犬の名を誰も知らない」の北村はアザラシの糞やペンギンを食べて生きていたのだろうと推測している。北村は第一次、第三次の越冬隊に参加している。
 帰還したタロは北海道大学植物園内で、ジロは第四次越冬中に昭和基地で死んだ。

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