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「葬式の類は一切無用のこと 弔問、供物の類はすべて固辞すること。生者は死者のためにわずらわされるべきにあらず」

 独立メディア塾 編集部

 梅原龍三郎(1888年=明治21年3月9日~1986年1月16日)は画家。ルノワールに師事した。表題の言葉は梅原の遺言として知られている。
(1月17日読売朝刊から)
 高峰秀子の「私の梅原龍三郎」によると、梅原は70歳代の半ばで「遺書」を書いた。80歳のころには、自分が死んだことを新聞に発表する「死亡通知」を書きたいので知人らに文面の相談をしようとした。梅原サロンと呼ばれた集まりに居合わせたのは、川口松太郎、石原求龍堂、今泉篤男と高峰だった。誰も笑いにごまかして取り合おうとしなかった。そこで梅原は自ら半紙に「葬式無用。死者は生者をわずらわすべからず…」と書いた。「誰か、これを預かってくれないか。ボクが死んだらこの広告を出してほしいのだが」。
 しかし、これも引き受け手はいなかった。梅原は半紙をたたんで封筒に入れ、着物の懐に押し込んだ。
 梅原サロンというのは、気心の知れた作家、学者、俳優、力士など多彩な人たちが梅原を囲んで楽しむ集まり。石原求龍堂は美術の売買、美術書の出版などを行う会社の創業者、今泉は美術評論家。
 梅原は1908年、フランスに留学し、ルノワールの指導を受け、西洋画の大御所として活躍した。

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