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「子供たちのための食糧を送ってもらえないのなら、彼らの墓を掘るためのシャベルを送ってください」

 独立メディア塾 編集部

 英国の女優でハリウッドで活躍したオードリー・ヘップバーン(1929年5月4日~ 1993年1月20日)は晩年ユニセフ大使を務めた。冒頭の言葉はエチオピアの惨状を視察したとき、神父が彼女に訴えた言葉。女優として「ローマの休日」「昼下がりの情事」「尼僧物語」など名作の評価を得ている映画に出演した。ヘップバーンが「ティファニーで朝食を」の中で歌った「ムーンリバー」は今でも多くの歌手によってカバーされている。
 本稿の多くのデータを「オードリー・ヘップバーン物語(バリー・パリス著)」による。

 自分も厳しい戦争体験

 1998年、ヘップバーンは人生最後の5年間、「国連児童基金特別大使」を務めた。俳優のダニー・ケイが前年に亡くなり、ユニセフ活動に大きな穴が開いてしまっていた。彼は20年間、人気のある親善大使として世界を飛び回っていた。
 ヘップバーン自身がユニセフの前身である「国際連合救済事業機関」(UNRRA)に助けられた経験がある。第二次世界大戦で疎開していたオランダのアルンヘムがドイツ軍に占領され、5年間、閉じこもりの生活を強いられた。おかげで喘息、水腫など数々の病気にかかっていたが、連合軍によって解放され、UNRRAが食料、医薬品、衣類などを援助した。彼女が最初にもらった援助物質は、コンデンスミルクと煙草だったという。
 その間、彼女は母親に頼まれてドイツへのレジスタンス運動を連絡係として手助けしたこともある。戦後、彼女は傷病兵や退役軍人のための施設で働くことを選んだ。

 大使として8回、世界各地に視察旅行をした。最初の視察はエチオピアだった。数百万の人が飢餓と旱魃と内戦に苦しんでいた。冒頭の言葉はエチオピアの惨状を、ある委員会で証言したときのもの。「シャベルを送ってください」。彼女は神父の言葉を世界に伝えた。

 「オードリー・ヘップバーン物語」の著者バリー・パリスはヘップバーンについて次のように書いている。
 「映画の偉大な女神たちのなかで、マリリン・モンローとエリザベス・テイラーだけがオードリー・ヘップバーンよりも<ライフ>の表紙に登場した回数が多く、ガルボ(グレタ・ガルボ)だけが彼女よりもハリウッドから超然としていた」。

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