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「いつも誰かが、火の見から、双眼鏡でのぞいています」

 独立メディア塾 編集部

 安部公房(1924年=大正13年3月7日~1993年1月22日)は、日本の小説家、劇作家、演出家。表題の言葉は「砂の女」から。「壁」で芥川賞受賞。世界的に読者を獲得し、ノーベル文学賞の候補に挙げられた。文字、音声、映像、舞台など複数の表現手段を駆使し、「安部公房とはだれか」の著者木村陽子は「マルチメディア・アートの先駆者」と位置付けている。

 「砂の女」は「新潮文庫の100冊」というキャンペーンで、1981年から現在まで連続して採用されている。ただし2013年に1回「壁」に代わったことがある。「安部公房とはだれか」によると、毎年、多くの高校生が「夏休みの課題図書」の中から「砂の女」を選び、感想文を書いている。教科書にも数多くの作品が収録されている。

 「砂の女」の文庫本に付けられたドナルド・キーンの「解説」によると、「砂の女」の発行(1962年)を機会に一般読者に馴染みのなかった前衛作家、安部公房は一躍有名になった。1964年の英訳から始まって、チェコ語、フィンランド語、デンマーク語、ロシア語等20数か国語の翻訳が続々発行された。

 若者の世界でも外国でも支持される

 「緑色のストッキング」「幽霊はここにいる」「友達」などの戯曲も海外で公演された。
 なぜ安部は若者の支持を集めるのか。なぜ、安部は外国で読まれるのだろうか。
 キーンは「自由」の問題を取り上げる。砂穴にとらわれた男が「あれほど熱望している自由は果たしてどんなものか、男は余り考えない」「男もだんだん穴のなかの生活に順応する。初めのうちどうしても新聞が読みたかったが、<法人税汚職、市に飛び火><工業のメッカに、学園都市を>等の見出しに関心がなくなり、『かけて困るものなど、何一つありはしない』ということに気が付く」。
 「自由」さえ「欠けて困ることはない」という安部の視点は多くの読者をひきつける。
 もともと子供向けの作品を書いていたということもあるが、安部は自分の作品が「異国的」とか「一風変わったものとして海外から扱われることを極端に嫌っていた」(木村陽子)。この感覚が年代や国籍を軽く超えたのかもしれない。
 安部の死後、ワープロ用のフロッピーディスクから「もぐら日記」と題する日記が見つかった。1985年5月12日から12月6日までの7か月間の記録だ(1993年9月2日朝日新聞夕刊)。「8月23日 動物をあつかっているときのローレンツには、綿密で透明な思考の緊張と美しさがある。しかし、人間に言及した途端、妙に陳腐な小言老人ふうになるのはなぜだろう」。

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