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「日本人の出来の悪さが心細い」

 独立メディア塾 編集部

 大佛次郎(1897年=明治30年10月9日~1973年4月30日)は小説家。表題の言葉は「大佛次郎敗戦日記」の1945年1月30日から。大佛は教師、外務省勤務を経て、関東大震災を機に文筆生活に入る。「鞍馬天狗」シリーズなど大衆小説で人気作家になり、晩年、「パリ燃ゆ」「天皇の世紀」などの史伝に取り組んだ。作家の野尻抱影(正英)は兄。1973年、朝日新聞社が「大佛次郎賞」を創設、2001年には評論を対象にした「大佛次郎論壇賞」が新設された。

 1月30日の「敗戦日記」では「戦争は彼我の人間の素質が物をいう段階に入っている」と書き、そのあとに表題の言葉「宣伝とは反対に日本人の出来の悪さが心細く思われてきている」を続けている。大佛は翌31日の日記で銀座へ出かけた様子を書いている。
 「日劇の前で藤田親昌君に会う。27日に不起訴と決り帰りしと。(略)女房も必ず帰ると信じ東京に待っていたと語り目をうるませる。気の毒なことなり」。
 藤田は中央公論の編集部長を務めた。1944年に横浜事件で検挙されたが、起訴留保処分で釈放された。横浜事件は雑誌「改造」が掲載した論文が新聞紙法違反で、さらに治安維持法違反に拡大した事件。改造社、中央公論社、朝日新聞社、岩波書店、満鉄調査部などの関係者約60人が逮捕され、4人が拷問で死んだ。戦前、戦中の典型的な言論弾圧事件。神奈川県警察部の所轄だったので横浜事件と呼ばれる。

 「草を喰うことになるかも」と農相

 この日の日記の最後に、こんなことも記している。
 「朝刊を見ると島田農相が議会で万已むを得ずんば草を喰うことになるかも知れぬと言っている。はっきりと。」
 「敗戦日記」は昭和19年9月から20年10月までの日記。読書評、世相、鎌倉文士たちの動向など敗戦にいたる様子を書き残している。大佛の日記としてはガンとの闘病生活を記した「病床日記つきじの記」が知られている。

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