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「ただ貴方のやさしさが怖かった」

 独立メディア塾 編集部

 南こうせつ(1949年2月13日~)は、フォークシンガー。元かぐや姫のリーダー。1970年にデビューし1973年に発売した『神田川』は160万枚のヒットを記録。解散後も「夢一夜」などのヒット曲を生んでいる。表題の言葉は「神田川」の一節。作詞は喜多條忠(きたじょう・まこと=1947年10月24日~2021年11月22日)。

 授業で教えている大学生が「神田川」を知らない、と答えたのには驚いた、えっ、本当!続いて「トラさんって、誰ですか」。これにはさらに動転、仰天、言葉もない。そして思い出した。昔読んだ評論家、エッセイスト、坪内祐三(1958年5月8日~2020年1月13日)が書いた「一九七二」という本。
 坪内は本を書いたきっかけを書いている。1998年、女子短大での授業の帰りに新宿西口の馴染みの飲み屋に寄った。アルバイトをしている学生と話しているうちに「短大のオネーチャンたちって、本当に物を知らないよ」と嘆きを口にした。例えば「三億円事件」について「たけやぶの中にお金が落ちていた」と答えたりする。「やんなってしまうよ」というと、カウンターの中の早稲田と中央の二人はけげんな顔をして「三億円事件って、それとは違うのですか」。その瞬間の、私(坪内)の驚き。「短大のオネーチャンたちのせいにした自分を恥じた」。

 「拓郎、帰れ!」コールでフォーク

 坪内には差別的な表現があるが、「神田川」を「人間の声」で取り上げる機会を与えてくれた。彼は文化や歴史の断絶はいつごろから生じたのだろうと考え、1972年だと決めて本のタイトルにした。「神田川」は1973年発売なので坪内の歴史意識の範囲内にある。
 坪内はこの本の中で、フォークミュージックの分裂を書いている。岡林信康や高田渡らのコアなフォークではなく、もっと『俗情に結託した』ソフトなフォークミュージックの流行だ。坪内は田川律の文章から72年の吉田拓郎の「結婚しようよ」、井上陽水の「傘がない」、73年、ガロの「学生街の喫茶店」といった曲は正統派フォークからの転向だ、という。関心が世界に向かわず、結婚や傘や喫茶店という身近なものに限定されていったと指摘している。
 坪内はさらになぎら健壱の「日本フォーク私的大全」から1972年、武道館でのフォークコンサートで拓郎に「帰れ!」コールが浴びせられたことを紹介し、この時、フォークは「硬」と「軟」に分かれた、という。
 「神田川」も1972、1973年の一角を担う代表曲だ。「小さな石鹸カタカタ鳴った」なんていうセリフは坪内の分類に従えば、当然「軟」の典型だろう。昔「同棲ソング」と言われ、自宅通学の学生にうらやましがられた「神田川」の世界も、今や「硬・軟」の枠を飛び越えた歴史のかなたに消えようとしている。
 もう一つの貴重な「寅さん」は8月4日の「声」に掲載した。

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