BBCの受信料制度がもしなくなったら?
在英ジャーナリスト  小林 恭子
BBCは今年、開局から100年を迎えた。
正確に言うと、最初は無線機メーカーが共同で設立し、その形態は民間企業「英国放送会社」(British Broadcasting Company)だった。1922年10月、政府がBBCにラジオ受信機の販売と放送の事実上の独占権を与えて、発足の運びとなった。
その後、放送業が乱立するアメリカの様子を視察した英政治家が「これではいけない」と英国の放送業のあり方について調査委員会を発足させ、最終的に公共事業体として運営されることが決まった。
1927年、現在の名称「英国放送協会」(British Broadcasting Corporation)が公共放送として誕生する。
長年、BBCの主たる活動は日本の公共放送NHKの放送受信料に相当する、「テレビライセンス料」(以下、便宜的に「受信料」と表記)で賄われてきた。NHK同様に視聴世帯から徴収する形を取り、これがあるからこそ、BBCはその報道について政治家や大企業から干渉されない構造になってきた。
新聞にはBBCの番組の放送予定が掲載されず、BBCは自前の雑誌「ラジオ・タイムズ」を発行せざるを得なくなった。
開局から現在まで、時の政府から「報道が偏向している」という批判されるのは日常茶飯事で、英国の欧州連合(EU)からの離脱を巡る国民投票(2016年)前後は離脱賛成派とEU残留派の両方から批判された。離脱派は「BBCは残留を支持しすぎる」、残留派から「筋が通っていない離脱派の政治家の意見を大きく扱った」と言われてしまった。
衛星放送のスカイテレビは、英国の有料テレビ市場で最大規模を誇る。スカイテレビの経営者側にとって、「公共」という部分が気に入らないようだ。かつて、ある経営陣トップはテレビ界の質を高める誘因となるのは「利益だ」と述べた。BBCへの当てつけであることは明らかだった。
伝統的に「小さな政府」を目指すのが、現在の与党・保守党だ。1979年から1990年まで英国の首相だったマーガレット・サッチャー氏はBBCを民営化するために躍起だったが、「民営化するべき」という結論を期待して立ち上げた調査委員会は、「公共体で良い」という結論を出し、願いは叶わなかった。
BBCは約10年毎に更新される「王立憲章」を基に存在し、2028年まで受信料制度が続くよう規定されている。2028年までは安泰なのだが、その後をどうするかがまだ決まっていない。ツイッターでつぶやいた翌日に議会にやってきた文化相は「受信料制度は2028年で終わり」とは言わなかったので、まだ正式にそうなったわけではない。
しかし、受信料を値上げするのかしないのか、どれぐらい値上げになるのか等の交渉は政府と相談して決めることになっているので、BBCはお金の面では首根っこを時の政府につかまれていることになる。
「今後2年の凍結」は厳しい。現在のインフレ率は5%を超えているので、単純計算でも実質的には受信料を原資とする予算は減少することになる。BBCにとって、ピンチである。
1920年代から1950年代半ばまでBBCが独走態勢を取ってきたので、英国の放送業と言えばBBCという認識が強かった。現在のITVやチャンネル4の予算額をBBCの予算額と比較すると、BBCがダントツだ。
しかし、そんなダントツの位置が揺らいでいる。インターネットの到来で、番組表に合わせて視聴者がテレビの前に座って番組を見るという習慣がだんだん崩れてきた。どの主要放送局も無料で「見逃しサービス」を提供しているし、放送と同時にネットでも番組を流すようになっている。
また、米国のネットフリックス、アマゾンプライムビデオなどの配信サービスが人気を博している。若者層はテレビよりもネットで動画を見ている。
BBC自体が、見逃しサービスや同時配信に力を入れてきたのだけれども、視聴者個人個人に選択肢が増えるたびに、BBCは「たくさんある中の1つ」になってきた。
BBCの受信料は、カラー放送の場合、年に159ポンド(約2万4500円)で、「BBCの番組をあまり見ていないのに、払う必要はあるの?」と思う人が出てきても不思議はなかった。
保守党政権にしてみれば、権力を監視する役目を持つ報道機関としての役目を全うしようとするBBCは煙たい存在だ。特に、今は離脱運動を主張したボリス・ジョンソン氏が首相となっており、先の文化相もそうだが、閣僚らは離脱支持派ばかり。「離脱運動を不当に報道したBBC」という思いがある。「BBC、憎し」の現政権は、「ネット時代の今、BBCを視聴世帯から強制的に徴収する受信料で賄う必要があるのか」という問いを発する。
この問い自体はまっとうなものであるのだけれども、では一体どうやって資金を作るべきかというと、まだ意見はまとまっていない。
サブスクリプションにしたら、今まで受信料を払っていた人が払わなくなる事態が発生すると言われている。BBCの予算額はがた落ちするだろう。
広告で収入を賄ったらどうかとか、通常の税金に上乗せして視聴料を徴収し、これを番組制作に回したらどうかという案も出ている。前者はそれほど大きな額が望めそうになく、後者では時の政府の意向にさらに左右されてしまうのではないか、とBBC支持者は懸念する。
筆者はどれがいいのかわからないが、サブスクリプションにして「払う余裕がある人・見たい人だけが払う」形には問題があるのではないかと思う。
英国は、すべての人に同じコンテンツを提供する、つまりユニバーサルなサービスとしてBBCを位置付けてきた。「自分が視聴しなくても、隣人が視聴できるように」コストをカバーする考え方だ。例えばそれは、「自分は全く国民医療制度を使わない。でも、保険料は毎月払う」のと同様だ。ほかの人のために、社会全体のために、あるサービスのコストをみんなで負担する考え方だ。
結果的に、どれほどバラバラに見えようとも、BBCは英国をひとつにまとめる役目を果たしてきた。英国に住む人全員が貧富の差にかかわらず利用できることとして放送サービスを捉えてきたのに、サブスクリプションになったら、「社会全体でコストをカバーする」部分が消えてしまう。
そうなったら、筆者は貧しい社会になるのではないかと思う。互いを助け合い、よりよい社会を作る試みは個人のニーズを満たすことに適するネットがどれほど進展しても、存続するべきではないか。そんな社会に筆者は生きたい。
正確に言うと、最初は無線機メーカーが共同で設立し、その形態は民間企業「英国放送会社」(British Broadcasting Company)だった。1922年10月、政府がBBCにラジオ受信機の販売と放送の事実上の独占権を与えて、発足の運びとなった。
その後、放送業が乱立するアメリカの様子を視察した英政治家が「これではいけない」と英国の放送業のあり方について調査委員会を発足させ、最終的に公共事業体として運営されることが決まった。
1927年、現在の名称「英国放送協会」(British Broadcasting Corporation)が公共放送として誕生する。
長年、BBCの主たる活動は日本の公共放送NHKの放送受信料に相当する、「テレビライセンス料」(以下、便宜的に「受信料」と表記)で賄われてきた。NHK同様に視聴世帯から徴収する形を取り、これがあるからこそ、BBCはその報道について政治家や大企業から干渉されない構造になってきた。
常に「敵」から攻撃されてきた、BBC
BBC設立当初の歴史を紐解くと、新聞界はBBCの登場に相当の危機感を持ったようだ。「BBCがニュースを読んでしまうと、新聞の売り上げが落ちてしまう」、と主張した。BBCは、通信社が報道済みの記事の要約版を夕方から報道するだけになった。新聞にはBBCの番組の放送予定が掲載されず、BBCは自前の雑誌「ラジオ・タイムズ」を発行せざるを得なくなった。
開局から現在まで、時の政府から「報道が偏向している」という批判されるのは日常茶飯事で、英国の欧州連合(EU)からの離脱を巡る国民投票(2016年)前後は離脱賛成派とEU残留派の両方から批判された。離脱派は「BBCは残留を支持しすぎる」、残留派から「筋が通っていない離脱派の政治家の意見を大きく扱った」と言われてしまった。
衛星放送のスカイテレビは、英国の有料テレビ市場で最大規模を誇る。スカイテレビの経営者側にとって、「公共」という部分が気に入らないようだ。かつて、ある経営陣トップはテレビ界の質を高める誘因となるのは「利益だ」と述べた。BBCへの当てつけであることは明らかだった。
伝統的に「小さな政府」を目指すのが、現在の与党・保守党だ。1979年から1990年まで英国の首相だったマーガレット・サッチャー氏はBBCを民営化するために躍起だったが、「民営化するべき」という結論を期待して立ち上げた調査委員会は、「公共体で良い」という結論を出し、願いは叶わなかった。
受信料制度廃止の呼びかけ
さて、今年の話である。1月、ナディーン・ドリス文化相はツイッターで「BBCの受信料制度は2028年で終わり」と述べた。また、BBCの受信料も「今後2年間は値上げせず、凍結する」とも。BBCは約10年毎に更新される「王立憲章」を基に存在し、2028年まで受信料制度が続くよう規定されている。2028年までは安泰なのだが、その後をどうするかがまだ決まっていない。ツイッターでつぶやいた翌日に議会にやってきた文化相は「受信料制度は2028年で終わり」とは言わなかったので、まだ正式にそうなったわけではない。
しかし、受信料を値上げするのかしないのか、どれぐらい値上げになるのか等の交渉は政府と相談して決めることになっているので、BBCはお金の面では首根っこを時の政府につかまれていることになる。
「今後2年の凍結」は厳しい。現在のインフレ率は5%を超えているので、単純計算でも実質的には受信料を原資とする予算は減少することになる。BBCにとって、ピンチである。
ライバルはネットフリックスに
BBCは1950年代半ばまで、英国で唯一の放送業者だった。1955年に民放ITVができて、2大放送局体制に入った。その後、チャンネル4、チャンネル5が開局し、現在では主要局は4つになる。1920年代から1950年代半ばまでBBCが独走態勢を取ってきたので、英国の放送業と言えばBBCという認識が強かった。現在のITVやチャンネル4の予算額をBBCの予算額と比較すると、BBCがダントツだ。
しかし、そんなダントツの位置が揺らいでいる。インターネットの到来で、番組表に合わせて視聴者がテレビの前に座って番組を見るという習慣がだんだん崩れてきた。どの主要放送局も無料で「見逃しサービス」を提供しているし、放送と同時にネットでも番組を流すようになっている。
また、米国のネットフリックス、アマゾンプライムビデオなどの配信サービスが人気を博している。若者層はテレビよりもネットで動画を見ている。
BBC自体が、見逃しサービスや同時配信に力を入れてきたのだけれども、視聴者個人個人に選択肢が増えるたびに、BBCは「たくさんある中の1つ」になってきた。
BBCの受信料は、カラー放送の場合、年に159ポンド(約2万4500円)で、「BBCの番組をあまり見ていないのに、払う必要はあるの?」と思う人が出てきても不思議はなかった。
保守党政権にしてみれば、権力を監視する役目を持つ報道機関としての役目を全うしようとするBBCは煙たい存在だ。特に、今は離脱運動を主張したボリス・ジョンソン氏が首相となっており、先の文化相もそうだが、閣僚らは離脱支持派ばかり。「離脱運動を不当に報道したBBC」という思いがある。「BBC、憎し」の現政権は、「ネット時代の今、BBCを視聴世帯から強制的に徴収する受信料で賄う必要があるのか」という問いを発する。
この問い自体はまっとうなものであるのだけれども、では一体どうやって資金を作るべきかというと、まだ意見はまとまっていない。
サブスクリプションにする?それとも
極論は、ネットフリックスやアマゾンプライムビデオのように、好きな人が視聴料を払って番組を見る、サブスクリプション制度にしたらどうか、という提案である。サブスクリプションにしたら、今まで受信料を払っていた人が払わなくなる事態が発生すると言われている。BBCの予算額はがた落ちするだろう。
広告で収入を賄ったらどうかとか、通常の税金に上乗せして視聴料を徴収し、これを番組制作に回したらどうかという案も出ている。前者はそれほど大きな額が望めそうになく、後者では時の政府の意向にさらに左右されてしまうのではないか、とBBC支持者は懸念する。
筆者はどれがいいのかわからないが、サブスクリプションにして「払う余裕がある人・見たい人だけが払う」形には問題があるのではないかと思う。
英国は、すべての人に同じコンテンツを提供する、つまりユニバーサルなサービスとしてBBCを位置付けてきた。「自分が視聴しなくても、隣人が視聴できるように」コストをカバーする考え方だ。例えばそれは、「自分は全く国民医療制度を使わない。でも、保険料は毎月払う」のと同様だ。ほかの人のために、社会全体のために、あるサービスのコストをみんなで負担する考え方だ。
結果的に、どれほどバラバラに見えようとも、BBCは英国をひとつにまとめる役目を果たしてきた。英国に住む人全員が貧富の差にかかわらず利用できることとして放送サービスを捉えてきたのに、サブスクリプションになったら、「社会全体でコストをカバーする」部分が消えてしまう。
そうなったら、筆者は貧しい社会になるのではないかと思う。互いを助け合い、よりよい社会を作る試みは個人のニーズを満たすことに適するネットがどれほど進展しても、存続するべきではないか。そんな社会に筆者は生きたい。