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「大衆の熱狂は計算できない」

 独立メディア塾 編集部

 アイザック・ニュートン(1643年1月4日~1727年3月31日)は、万有引力の法則などで知られたイングランドの数学者、物理学者、天文学者、神学者。だが全く別の4つの顔を持っていた。1つは金融行政を担当するエコノミストの顔、そしてもう1つは贋金(偽金)づくりの人間を死刑にまで追い込んだ治安判事の顔。それぞれ歴史に刻まれた業績だ。冒頭の言葉は英国の金融庁長官時代に、世界の3大バブルで損をした時の言葉。そして4つ目の顔は…。
(藤岡啓介著「ニュートン外伝」、島尾永康著「ニュートン」、トマス・レヴェンソン著「「ニュートンと贋金づくり 天才科学者が追った世紀の大犯罪」、小山慶太著「ニュートンの秘密の箱」、佐藤満彦著「ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿」から)

 リンゴが落ちるのを見て発見した万有引力の法則や微積分法、光学の研究の分野で大きな功績を残した。これが世界で一番知られた顔だ。その次の顔は、ニュートンは英国造幣局長を務めた時の顔だ。1717年、ニュートンは金と銀の交換比率を1対15.21に決めた。「ニュートン比価」と呼ばれ、その後の「金本位制」の布石になったと評価されている。
 背景には英国にとって「通貨の安定」が緊急課題だったことがある。
 イングランド銀行はナポレオン戦争で金と銀の交換(兌換)を停止したが、1821年5月に再開した。英国は産業革命期に爆発的な経済発展を遂げた。にもかかわらず、当時、「金と銀」の交換比率は大きく揺れていた。
 そこで英国はニュートンが長官時代に決めた金(金貨)と銀(銀貨)の交換比率(金銀比価)「1対15.21」を採用して、金価格の安定を図った。ニュートン比価はニュートンが兌換率を決めて以来、英国が金本位制から離脱する1931年まで、ほぼ200年以上にわたり使われ続けることになった。
 造幣局長官を務めたころ、3大バブルと言われる英国の南海泡沫会社事件が起きた。ニュートンも大衆の熱気に巻き込まれ投機に失敗した。「大衆の熱狂を計算することはできない」と悔しがったという。
 ニュートンの3つ目の顔は犯罪捜査官の顔だ。局長になる前の1696年、造幣局監事になった。監事には通貨関連の犯罪を取り締まる治安判事の役目がついていた。これが贋金づくりとの戦いの始まりだった。当時、イングランドの標準 通貨は銀だったが、重量や形をいじる偽造通貨が横行し、銀貨の価値はどんどん下落していた。ニュートンが1696年に作成した集計表によれば、流通する硬貨の10枚に1枚が偽造だった。通貨偽造は大逆罪で死刑が待っていた。
 こうした時代に造幣局長のニュートンは「贋金づくり」の大物と言われたウィリアム・チャロナーを相手に長い捜査、長い法廷闘争を繰り広げることになった。自ら保安官になって容疑者や弁護人と面会することをいとわなかった。
 チャロナーはニュートンが集めた証言や証拠によって有罪の宣告を受け、1699年3月22日、死刑場へ送られた。チャロナーはニュートンにあてて最後の手紙を書いた。
 「親愛なる閣下、私を救えるのはあなたをおいて他にはいません。ああ、神様、私の神様、あなたがお救いくださらなければ、私は殺されてしまいます。殺されようとしている慎み深い僕」。

 残された多くの記録から「ニュートンは錬金術の研究に没頭した」と指摘されてきた。これが4つ目の顔だ。
 1946年、著名な経済学者ジョン・メイナード・ケインズは競売にかけられたニュートンの遺品のうち半分を回収し、「ニュートンは卑金属を貴金属に変えようとする魔法使い(錬金術師)になろうとしていた。彼は近代科学の創設者ではなく、最後に咲いたあだ花だった」と公表して話題になった。
 ニュートンの錬金術については、研究活動の一環とする見方から魔術師説まで様々な見方が行われている。

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