記事応募にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

「我々は労働力を呼んだ。そしてやって来たのは人間たちだった。が、彼らはこの国の裕福さを食い尽くしはしなかった。それどころか、彼らはこの裕福さのために不可欠だった」

 独立メディア塾 編集部

 キャンディーズ解散。1977年7月17日、日比谷野外音楽堂で開かれた「サマージャック‘77」というコンサートで突然、引退を表明した。伊藤蘭(愛称ラン)、藤村美樹(愛称ミキ)、田中好子(愛称ス―)の3人組。ランが大勢の観客に向かって「皆さん、今日は本当に、どうもありがとう」と感謝を述べた後、3人は号泣しながら、突然の解散宣言をした。ランが「私たち、皆さんに、謝らなければならない事があります」、ミキが「ごめんなさい」、スーが「許してください」と、それぞれファンに対して謝罪する。それから「私たち、9月で解散します」。その時に、ランが泣き叫びながら発言した「普通の女の子に戻りたい」は当時の流行語にもなった。

 南イタリアから50万人以上が

 フリッシュの言葉は、スイスの映画監督アレキサンダー・J・ザイラー(1928年~2018年)が1965年にイタリア人労働者たちを取材録音しドキュメンタリー映画にした「シアモ・イタリアーニ(Siamo Italiani=我々はイタリア人だ)」)の序文に書かれた。
 1960年代の初め、スイス産業界は労働力不足をまずイタリアからの季節労働者でおぎなった。南イタリアから50万人以上の男女がスイスで就労したが、その生活環境は惨めであった。家族の呼び寄せはままならず、お役所の壁は高く、まともなアパートも借りられず。仕方なく大勢でバラックに住んだ。自分たちの仕事(職)と娘たちの安全を危惧するスイス人たちからは不信の目を向けられた。
 「Siamo Italiano」は、国境での人の品位を無視した健康診断や神経に触る外国人警察の手続きまで、イタリア人労働者のつらいスイスでの日常生活に付き添った記録だ。
 外国人を労働力としてだけ都合よく使おう、という受け入れ側のスイスの人々。そんな勝手が許されない現実との葛藤。それを乗り越えることによって、外国人労働者はスイスの豊かさを維持するために不可欠になった。

 スイスに住む15歳以上の人の3分の2以上が、日常的に複数の言語を使っている。話者が最も多いのはドイツ語で、次にフランス語、イタリア語、ロマンシュ語と続く。英語は人口の45%が日常的に話しており、最も多く話されている外国語だ。

コメント投稿にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

こちらのコメントを通報しますか?

通報しました