「昨日まで人のことかと思いしが、俺が死ぬのか、それはたまらん」
 独立メディア塾 編集部
大田南畝(おおた なんぽ=蜀山人)の辞世の歌。(1749年4月19日~1823年5月16日=文政6年4月6日)。天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。
辞世の歌は「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」とも伝わる。墓は小石川の本念寺(文京区白山)にある。「生きすぎて 七十五年食ひつぶし かぎり知られぬ天地の恩」とも伝わる。
文化4(1807)年8月、隅田川に架かる永代橋が崩落するという事故を偶然に目の当たりし、自ら取材して証言集『夢の憂橋』を出版。このときに「永代と 言われし橋が落ちにけり 今日の祭礼明日の葬礼」と詠んだ。
登城の途中に転倒して死亡
大田南畝は登城の途中に転倒、それが元で死去。75歳。辞世の歌は「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」とも伝わる。墓は小石川の本念寺(文京区白山)にある。「生きすぎて 七十五年食ひつぶし かぎり知られぬ天地の恩」とも伝わる。
文化4(1807)年8月、隅田川に架かる永代橋が崩落するという事故を偶然に目の当たりし、自ら取材して証言集『夢の憂橋』を出版。このときに「永代と 言われし橋が落ちにけり 今日の祭礼明日の葬礼」と詠んだ。