記事応募にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

「ニュートンは最後の魔術師」

 独立メディア塾 編集部

 20世紀を代表するイギリスの経済学者、ジョン・メイナード・ケインズ(1883年6月5日~1946年4月21日)にとって、1936年は画期的な年だった。代表作となる「雇用・利子および貨幣の一般理論」を発表した。これを境にケインズ経済学が近代経済学の主流となった。
 この名著が発表された同じ年、ケインズはサザビーズのオークションで一つの箱を落札した。箱に詰まっていたのはアイザック・ニュートンが書いた錬金術の資料。ケインズは歴史的な資料が散逸することを恐れて落札し、のちに冒頭の言葉のように「ニュートンは近代科学の創始者ではない」という論文を発表した。
 (小山慶太著「ニュートンの秘密の箱」、藤岡啓介著「ニュートン外伝」、島尾永康著「ニュートン」)

 ニュートン生誕300年の衝撃

 ケインズが落札した箱はある伯爵家に伝えられてきたものだ。ケインズは競売にかけられた手書きの原稿の半分を買い取った。
 中にあったのは万有引力や微積分や光学についてのものではなかった。なんと65万語に及ぶ錬金術のノートだった。ケインズはつぶやいたという。「数学と天文学とは彼(ニュートン)の仕事のほんの一部にすぎず、おそらく最も興味を引いたものでもなかった」。

 それから10年、1946年7月、ケンブリッジ大学で「ニュートン生誕300年祭」が開かれた。正確には300年は1942年になるが、戦争のため延期されていた。
  ケンブリッジ大卒のケインズはこの生誕記念に「人間ニュートン」という論文を発表した。ケインズは直前に亡くなっていたので、弟のジェフリー・ケインズが代読した。
 それはニュートン像を書き換える衝撃的な論文だった。
 「ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなかった。彼は最後の魔術師」である、と。
 ニュートンが錬金術にかかわっていたことは、知られたことだったがケインズの論文はニュートンを研究する人、評価する人たちを戸惑わせ、衝撃を与えた。1980年になると、ニュートンの遺髪から検出された水銀濃度が異常に高いことがわかり、錬金術による、水銀中毒ではないか、という指摘も出ていた。
 ニュートンが万有引力の法則など主要な業績を達成したのは、ペストを避けて故郷に戻っていた18か月間のことであり、この期間は近代科学史のなかで「創造的休暇」と呼ばれている。ケインズはなぜニュートンに関心を持ったのか。金融庁長官と偽造通貨と錬金術の絡み合い、などの説があるようだが、はっきりしない。
 この原稿を書くにあたって引用させていただいた3人の著者の意見を著書から紹介する。
 島尾氏(「ニュートン」の著者)は「問題は、錬金術思想がニュートンの科学研究の想像力となりえたかどうかである」という。また「ニュートン外伝」の藤岡氏は錬金術という項目で「ニュートンには真理がわかっていてもそれを証明することができるまで発表しなかった、という伝えがありますが、ニュートンは、証明があるかもしれぬという思いで錬金術に取り組んだとみることはできないだろうか」。
 また「ニュートンの秘密の箱」の小山氏は「いかに天才といえども、自分が生きた時代や社会の制約から、完全に自由になることなどできるはずはない。片足を中世においてもなお、もう片方の足はしっかりと近代科学への道を踏み出していた姿勢にこそ、天才の偉大さが見て取れるのだろう」。


なお、3月31日のカレンダーで「4つの顔を持つニュートン」を掲載しているのでご覧いただきたい。

コメント投稿にはログインが必要です

パスワードを忘れた方はこちら

こちらのコメントを通報しますか?

通報しました