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「もう漫画を描くつもりはない」

 独立メディア塾 編集部

 長谷川町子(1920年1月30日 ~ 1992年5月27日)は、日本の女性漫画家。「昭和を描いた国民的漫画家」と評されている。代表作に「サザエさん」、「いじわるばあさん」、「エプロンおばさん」など。「サザエさん」は1946年4月22日、「夕刊フクニチ」で連載が始まった。町子は26歳。
 朝日新聞朝刊での連載開始は1951年4月16日。何度も休載を繰り返し、1974年2月21日が最終回になった。
 テレビの「サザエさん」放送開始は1969年10月5日。
 (「ちくま評伝シリーズ 長谷川町子」「サザエさんうちあけ話」などから)

 滑稽を作るのがうまかった

 佐賀県の裕福な家庭に育った。絵が得意だった町子は上京して、「のらくろ」で有名な田河水泡に弟子入りした。田河は漫画家になる前は、新作落語の作家だったためか、町子が持参したスケッチブックを見て、「絵もうまかったけれど、滑稽を作ることがうまかった」と弟子入りを認めた。
 「サザエ」の名前は、町子が愛読していた志賀直哉の小説「赤西蠣太」に出て来る侍女・小江(さざえ)から取った。もう一つの人気漫画「いじわるばあさん」は米国のボブ・バトルという作者の「意地悪じいさん」を見て、主人公がおばあさんの方が意地悪に迫力が出る、と考えて生みだされた。
 町子は戦前、1935年、15歳の時に「少女俱楽部」に「狸の面」で漫画家デビュー。1941年から同じ雑誌に「仲良し手帖」を連載していたが、3年間で休載した。「検問やら何やらで折角のアイディアがめちゃめちゃにされてとても嫌だった」ためだ。
 福岡に疎開し、再び上京するためには連載など書いていられない、ということで、サザエを結婚させて連載を終えることにした。しかし夕刊フクニチから「続サザエさん」を頼まれ、このときから「マスオと「タラちゃん」が加わった。
 しかし「こんなことを続けていていいのか」と悩んだ末、1960年には休載が1年以上続いた。このときは税務署に廃業届を出した。「もうやめる」と決意すると、漫画家の七つ道具である原稿用紙、ペン、刷毛、大量の資料などを切り刻み、庭で焼いてしまったこともあった。
 1982年(昭和57年)、紫綬褒章を受章したときのインタビューで新作発表の質問に対し「もう漫画を描くつもりはない」と答えた。

 テレビアニメの「サザエさん」は1969年(昭和44年)10月5日にフジテレビ系列で放送を開始した。第一回の視聴率は19.3%。1979年9月16日には最高の 39.3%を記録した。半世紀がたった現在も放送は続いている。1969年の放送開始から磯野フネ役の声優だった麻生美代子は2015年9月27日まで演じていた。


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