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「湯豆腐や いのちのはての うすあかり」

 独立メディア塾 編集部

 久保田万太郎(1889年=明治22年11月7日 ~1963年5月6日)は、日本の小説家、劇作家、俳人。表題の句は代表作とされている。
 1942(昭和17)年に日本文学普及会より菊池寛賞を受領。日本文学報国会劇文学部幹事長になり、『日本演劇』『演劇界』を発行する日本演劇社社長にもなった。

 1963(昭和38)年5月6日夕方、新宿の梅原龍三郎邸で行われた宴席で赤貝のにぎり寿司を勧められた。久保田は美食家ではあったが、日頃から噛みにくい赤貝は口にしなかったという。梅原に気を使ったのか赤貝を口にした久保田はのどに詰まらせ、慶應義塾大学病院に搬送されたが、既に心肺停止状態で死亡と診断された。喉につまらせた際、失礼にならないよう席を離れてトイレに向かう途中で倒れたという


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