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「7羽いたぞ。全部で175ドルだ」

 独立メディア塾 編集部

 1844年6月3日、火の島として知られるアイスランドのエルデイ島でオオウミガラスという大きな鳥が地上から姿を消した。17世紀ごろから羽毛や脂を取るために大量捕獲され、卵の採取のためにさらに乱獲された。希少価値が高くなるほど収集家や博物館が高値を付けて買うようになった。1844年、標本作成のため最後の一羽が捕らえられ絶滅した。
 アラン・エッカート(1931年~?)の「最後の一羽-オオウミガラス絶滅物語」と「6度目の大絶滅」(エリザベス・コルバート著、6月4日参照)から。

 「頭を殴って殺せ」

 絶滅の始まりは1534年にフランスの探検家、ジャック・カルティエがカナダの東海岸に位置するニューファンドランド島に上陸したことで始まった。1日に1000羽以上の「オオウミガラス」を惨殺したと言われている。これを機にヨーロッパで乱獲が広がった。カルティエは北米を探検したフランス人で、カナダの名付け人と言われている。
 ニューファンドランド島と並んでアイスランドのエルデイ島もオオウミガラスの繁殖地だった。しかしここでもオオウミガラスを待っていたのは大虐殺だった。あるときは一日で4800羽以上の成鳥が殺された。虐殺は広がり、絶滅への道を歩んだ。
 「最後の一羽」訳者の浦本昌紀、大堀聡両氏は「訳者あとがき」で次のように述べている。
 1830年に約20羽が商人に売られ、1831年には24羽、1834年に約10羽、1841年に3羽と卵1個、そして最後の1844年には2羽がアイスランドの商人に売られた。こうしたことは事実としてわかっているが、
 「それ以外の記述は著者の創作力によるものと思っていただきたい」との断りがある。

 7羽にまで減ったオオウミガラスも人間に見つかってしまった。「7羽いたぞ。全部で175ドルだ」
 6人の男と3人の少年を乗せたボートが母船から降ろされ、島のオオウミガラスを見つけた。

 1844年6月3日、逃げ延びた5羽はシャチに襲われ、結局2羽が残った。その2羽はエルデイ島で抱卵中だった。
 「おい、奴らをなぐるなら、体じゃなくて、頭をなぐれよ」
 「背中だと肉と羽をだめにしちまって、金にならなくなるぞ」
 2羽はこん棒で殴られ、卵は踏みつぶされた。

 オオウミガラスはチドリ目ウミスズメ科に分類される海鳥。ニューファンドランド島や、グリーンランド、アイルランドなどに生息していた。全長は約80cmで、姿はペンギンによく似ている。空は飛べずに泳ぎが得意という特徴もペンギンと同じ。オオウミガラスの方が先に「ペンギン」と呼ばれていた。
 訳者の浦本昌紀、大堀聡両氏は「訳者あとがき」で次のように述べている。
 「残念なことに、信頼できる鳥類研究者や博物学者で、この鳥を生きた状態で観察し記録を残した人は一人もいない。」したがって標本などを除くと資料は「漁師や船員などからの聞き書きや航海日誌だけしかない。それがどこまで信頼できるかには議論が多い」。
 著者エッカートは1931年、アメリカのニューヨーク州に生まれた。高校を卒業後、4年間兵役に従事。オハイオ州立大学で学び、数々の職を経て、29歳のときフリーライターとなる。
 1971年にアメリカで出版され、世界10数か国で1100万部を超えるロングセラーとなった。「大草原の奇跡」「みどりのトンネルの秘密」「アナグマと暮した少年」などを執筆。(略歴はウェブサイト「めるくまーる」の「大草原の奇跡」から)


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