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「社会は動いており、裁判所も動いている」

 独立メディア塾 編集部

 斜陽の映画界にあって、「ポルノ映画」だけが救いのような時代だった。負債を抱えた日活は1971年、それまでの映画製作を中断し、「ロマンポルノ路線」に軸足を移した。「それまでの映画」は石原裕次郎のアクションもの、吉永小百合の青春ものに代表される路線だ。
 表題の言葉は、二審で無罪が確定したとき、起訴されていた映倫委員の一人武井韶平(日大教授)が「わいせつ」の判断が、時代とともに動いている、と語った言葉だ。
(1980年7月19日、朝日新聞朝刊)

 ネグリジェ姿の宮下順子らが感謝祭

 日活が1971(昭和46)年から1972(昭和47)年にかけて公開上映した成人映画4作品(『愛のぬくもり』『恋の狩人・ラブハンター』『OL日記・牝猫の匂い』『女高生芸者』)が、警視庁に「わいせつ」として摘発された。(「映倫50年の歩み」、ウィキペディアから)

 「黒い雪」事件に続いて、映倫管理委員会の委員までもが起訴され、「わいせつ」論議に世間の目が集まった。
 1972年9月、日活の映画本部長、製作・配給責任者、監督の6人が猥褻(わいせつ)図画公然陳列罪で起訴された。映画を審査した映画倫理委員会の審査員3人が、同幇助罪で起訴された。
 審査員までが起訴されたことで問題は日活以外にも波及し、映画界が「映倫裁判対策委員会」を結成した。
 1978年、一審の東京地方裁判所は無罪判決を下した。判決では「映倫の審査はすでに一定の社会的評価、信頼が確立されており、映倫の審査を尊重するべき」とした。東京地方 検察庁はこの判決を不服として控訴した。
 1980年7月18日、高裁でも無罪が言い渡され、検察が控訴しなかったため、8年半を費やして8月1日、無罪が確定した。この間、日活のロマンポルノ路線は大成功し、1975年8月7日に日活本社で「四周年記念謝恩パーティ」が開催され、女優の宮下順子、二条朱美、梢ひとみ、田口久美らが水着や浴衣、ネグリジェ姿で接待した。


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