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「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」

 独立メディア塾 編集部

 中国唐代の詩人、于武陵(う・ぶりょう)の「勧酒」を井伏鱒二(1898年2月15日~1993年7月10日)が翻訳した。元の詩を超える傑作として定着した。井伏は日本の小説家。代表作に「山椒魚」「黒い雨」など。

 

 「人生は左様ならだらけね」と林芙美子

 于武陵の「勧酒」と題する五言絶句の翻訳。井伏は漢詩17篇の和訳を発表している。昭和10年、そのなかの「中島健蔵に」に「勧酒」を含む7篇を入れた。
 この翻訳について詩人、高橋順子(高橋自身については5月17日参照)は「翻訳や翻案であることを超えている。原詩の花は必ずしも桜ではないが、井伏の詩では、まぎれもなく桜の花びらが、強い雨風にあおられて、『サヨナラ、サヨナラ』と別れの挨拶を送っているように読める」と評している。

翻訳の全文は

 「コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」


以下は原詩。

 勧酒
 勧君金屈巵      君に勧(すす)む 金屈巵(きんくつし)
 満酌不須辞      満酌 辞するを須(もち)いず
 花発多風雨      花発(ひら)けば 風雨多し 
 人生足別離      人生 別離足(た)る


 井伏鱒二は昭和10年、37歳の時に『因島半歳記』を発表した。その中で「サヨナラダケガ人生ダ」と訳した背景を説明している。林芙美子と尾道から因島(現尾道市)の三ノ庄町という港町に行ったときのことだ。井伏は学生時代、三ノ庄町に半年ほど静養のために滞在したことがある。ネット情報によると、因島行きは昭和6(1931)年4月29日のことで、講演に誘われたらしい。次は『因島半歳記』から関連部分の引用だ。
 「やがて島に左様ならして帰るとき、林さんを見送る人や私を見送る人が十人たらず岸壁に来て、その人たちは船が出発の汽笛を鳴らすと『左様なら左様なら』と手を振った。林さんも頻りに手を振ってゐたが、いきなり船室に駆けこんで、『人生は左様ならだけね』と云うと同時に泣き伏した。そのせりふと云ひ挙動と云ひ、見てゐて照れくさくなって来た。何とも嫌だと思つた。しかし後になつて私は于武陵の『勧酒』といふ漢詩を訳す際、『人生足別離』を『サヨナラダケガ人生ダ』と和訳した。無論、林さんのせりふを意識してゐたわけである。」

さらに寺山修二が、さらに小林が

 寺山修司は「サヨナラダケガ人生ダ」とすれば、自分が建てた家はいったい何なのだ、と家まで持ち出して嘆いている。

 「幸福が遠すぎたら」
 さよならだけが 人生ならば
 また来る春は 何だろう
 はるかな はるかな 地の果てに
 咲いている 野の百合 何だろう
 さよならだけが 人生ならば
 めぐり会う日は 何だろう
 やさしい やさしい 夕焼と
 ふたりの愛は 何だろう
 さよならだけが 人生ならば
 建てた我が家 なんだろう
 さみしい さみしい 平原に
 ともす灯りは 何だろう
 さよならだけが 人生ならば
 人生なんか いりません


「Mono Logue」というネットのページにshunsei kobayasi(小林春生)氏が次のような文章を書いている。

 「人生を諦観したつもりでも、さりとて『サヨナラ』ダケガ…と突き放すこともできない。未練もあるし、愛着だってある。こうした市井の人々に近い心情を『幸福が遠すぎるんなら、そんな人生なんかいらないや』と寺山は駄々っ子のように代弁している。」

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