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『よぅ、ネェちゃんキレイダね』男を見れば『よぅ!財バツ』

 独立メディア塾 編集部

 渥美清(1928年3月10日~1996年8月4日)は、コメディアン、俳優。代表作は『男はつらいよ』。シリーズ48作品で「車寅次郎」を演じた。本名田所康雄。没後に国民栄誉賞を受賞。表題の言葉は渥美清著「きょうも涙の日が落ちる 渥美清のフーテン人生論」から。

 

 俳句を愛し、8月4日は寅さん忌

 渥美が俳句を愛していたことは、生前、ほとんど知られていなかった。俳号は「風天」(フーテン)。8月4日は「寅さん忌」「風天忌」。
 1994年6月6日、66歳の句。

 「お遍路が一列に行く虹の中」
 (「風天 渥美清のうた」森英介著から)
 森によると「この句は渥美清、晩年の心象風景としての辞世の句だったのかもしれない」。同書で紹介されている句からもう一つ。
 「ポトリと言ったような気する毛虫かな」(1996年、68歳)。

 渥美は放浪の俳人、尾崎放哉にあこがれていた。
 渥美は私生活と俳優の生活を区別し、一切、プライベートを明かさなかった。芝居や映画を観るのも、招待券ではなく、すべて自腹だった。
 1951年、東京浅草六区のストリップ劇場「百万弗劇場」の専属コメディアンとなる。2年後にフランス座へ移籍。この頃のフランス座には、長門勇、東八郎、関敬六など後に第一線で活躍するコメディアンたちが在籍し、コント作家として井上ひさしがいた。
 「いつもホロ酔いの自分というものをキープしておきたい。泥酔じゃダメなんだ。(略)そう、コドモみたいにね。女を見れば『よぅ、ネェちゃんキレイダね』男を見れば『よぅ!財バツ』なんて声かけてサ、自分もいい気持ちになる。これだね」
 「精神が、セッタをはいて、半ソデのダボシャツなんか着てさ、江戸川の堤を、ツーッと走っているひとでしょうね」と「どこか寅さんに似てる」とハンコ屋さんや洋服屋さんを例に挙げた。
 (「今日も涙の日が落ちる」)
 渥美と長い付き合いだった作家・シナリオライターの早坂暁は渥美に寅さん以外の役を演じてもらおうと思っていた。早坂は「一つの与えられた役が、その俳優を食いつくしていく様子は、鳥肌が立つ凄惨と言ってもいい光景だった。渥美清が寅さんを演じていたのに、次第に寅さんが渥美清を演じていくようになる」。
 渥美もそのことに気づいていて、こう言った。「おれ、もう寅がそんなに好きじゃないんだ。もったいないことを言っているようだけど…」(「レクイエム昭和」から)
 渥美は家庭を大事にした。子供の育て方についてこう言っている。「おれは、渥美清だろう。仮にも映画スターだよ。その子供が箸も使えない、いい加減な子供だったら、“見てみろ、渥美清の子共はあんなもんだぞ”って言われるんだよ」
 (「生きてんの精いっぱい 壮絶ガン闘病と家族愛」篠原靖治著)

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