「鶴首して気長に待つ」
 独立メディア塾 編集部
新村出(しんむら・いずる、1876年=明治9年10月4日 ~1967年8月17日)は、日本の言語学者・文献学者。1955年(昭和30年)に初版が発刊された『広辞苑』の編纂・著者として知られる。業績を記念し1982年(昭和57年)から、優れた日本語学や言語学の研究者や団体に対し「新村出賞」が出されている。
新村は朝鮮のツルを食べたことがあり、あまりおいしくなかった、という。ツルという言葉は朝鮮からの外来語であるのか、東西民族の共同語源であったのか、また地名に残っている「鶴見」という言葉は、ツルを見る、という意味だけでなく「鶴見」自体がツルを指している可能性もある、と指摘している。古くから鳥の名前は鳴き声や形との関連で付けられている。
クレーンは本来、鳥のツルを意味するが、古代ギリシャで開発された釣り上げ機械がツルに似ていることから、機械もクレーンと呼ばれるようになった。新村はクレーンだけでなく、ツルハシなどの名前にも残されていることを記している。
新村に関して「完本茶話(ちゃばなし・薄田泣菫=すすきだきゅうきん著)」の「画家と書物」という項目(1916年4月15日)で、京大教授だった新村が「画家はどうしても本を読まなければだめだ」と言った話が紹介されている。言葉を大事にする新村の面目躍如たるものがあるが、新村は本を読む画家の代表として富岡鉄斎を挙げている。これに対して口うるさい薄田は「画家日本よりも大切なのは敏感(センス)である」と反論している。
新村の締めは「ツルの比較言語学は、興味深いもので、なおもう一層広くも深くも展開していったならば、面白い正確な結果が現れるかもしれない。私は鶴首して、気長に待ちたいと思う」。
「画家は本を読め」
「広辞苑先生、語源を探る(新村出著)」で「正月のおめでたついでにツルの語源について一言するのも面白いであろう」と「鶴」の項目を設けている。「私のツルの語源説を十数年ぶりで繰り返してみたくなった」と昭和10年に宮中の「鳳凰の間」で天皇陛下に進講した様子を大切な思い出として記している。新村は朝鮮のツルを食べたことがあり、あまりおいしくなかった、という。ツルという言葉は朝鮮からの外来語であるのか、東西民族の共同語源であったのか、また地名に残っている「鶴見」という言葉は、ツルを見る、という意味だけでなく「鶴見」自体がツルを指している可能性もある、と指摘している。古くから鳥の名前は鳴き声や形との関連で付けられている。
クレーンは本来、鳥のツルを意味するが、古代ギリシャで開発された釣り上げ機械がツルに似ていることから、機械もクレーンと呼ばれるようになった。新村はクレーンだけでなく、ツルハシなどの名前にも残されていることを記している。
新村に関して「完本茶話(ちゃばなし・薄田泣菫=すすきだきゅうきん著)」の「画家と書物」という項目(1916年4月15日)で、京大教授だった新村が「画家はどうしても本を読まなければだめだ」と言った話が紹介されている。言葉を大事にする新村の面目躍如たるものがあるが、新村は本を読む画家の代表として富岡鉄斎を挙げている。これに対して口うるさい薄田は「画家日本よりも大切なのは敏感(センス)である」と反論している。
新村の締めは「ツルの比較言語学は、興味深いもので、なおもう一層広くも深くも展開していったならば、面白い正確な結果が現れるかもしれない。私は鶴首して、気長に待ちたいと思う」。