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「この国ではひとりとしてかっこいい男を見かけない。ところで女のほうはまるで反対だ」

 独立メディア塾 編集部

 ゴードン・スミス(1858年~1918年11月6日)は、イギリスの博物学者、旅行者。日本を6度訪れ、数年滞在した。表題の言葉は1898年12月24日に日本へ初めて到着したときの第一印象を記した日記(12月29日)。8冊の手記を「ゴードン・スミスのニッポン仰天日記(翻訳・解説荒俣宏)」にまとめた。絵と写真を多用し、日本の風俗を再現した。死後、神戸の外人墓地に埋葬された。

 日本上陸でいきなり女性をほめたスミスは海女や芸者を高く評価した。その代表例は1904年10月7日、海女を訪ねた三重県登志島行きだ。スミスは転覆したら失うことになりかねない危険を冒して、蓄音機と二台のカメラを持ち込んだ。裸の男女数十人が海に潜るシーンなどの写真を撮る。衣服をまとわないロマンチックな世界。撮り終えたスミスは蓄音機をかける。曲目は書いていないが、写真説明には「コミカルな音楽」とあり、「軍隊調の音楽」が続いている。数十人を収めた記念写真の前には蓄音機が置かれている。スミスは「蓄音機を体験した喜びを見て私はすっかり満足した」と書いた。

 虫売りを屋台ごと買う

 大英博物館はスミスと契約して日本の魚類や哺乳類、鳥類を採集させた。スミスは1900年の8月、虫売りの屋台を丸ごと買っている。
 「日本人は天気のいい夜には提灯を持ってくりだし、安物を売る何百軒もの露店をひやかして歩くことが一種の宗教的な義務と考えている」。そう考えたスミスが興味を持ったのが「スズムシの屋台」だった。虫売りは日本独特の風物詩として外国人が関心を持った、という。声を楽しませてもらったら、虫は陰暦8月の放生会(ほうじょうえ)が来ると放してやったそうだ(「いいねぇ~江戸売り声」宮田章司著)。
 スミスは翌日、売り物すべてを持ってくるようにオーナーに掛け合った。マツムシ、クサヒバリ、エンマコオロギ、キンハバリ、キリギリス、バッタを買ったという。
 この日記の特徴は写真と図版が多いことだ。スミスが日本で日本画家を雇ったこと、さらに個人の写真、観光土産の写真などが添付されていることで、読みやすい日記になっている。
 日本に着いた翌年、スミスは火葬場を見学している。ミラノ、ビルマと徹底比較したいと書いているが、土葬文化の外国人は火葬場に関心があるようだ。「日本奥地紀行」のイザベラ・バードも詳しく書いているのでそちらで紹介する。

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