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「軍備競争は人間の仕事のなかで最も重要なものとなってしまった」

 独立メディア塾 編集部

 ゴードン・スミス(1858年~1918年11月6日)は、イギリスの博物学者、旅行者。日本を6度訪れ、数年滞在した。表題の言葉は1898年12月24日に日本へ初めて到着したときの第一印象を記した日記(12月29日)。8冊の手記を「ゴードン・スミスのニッポン仰天日記(翻訳・解説荒俣宏)」にまとめた。絵と写真を多用し、日本の風俗を再現した。死後、神戸の外人墓地に埋葬された。

 1945年8月のある夜、ノエル・ベーカーはロンドンにある国防省地下のコンクリート製要塞で晩餐をとった。相手はウィンストン・チャーチルに代わって首相になったクレメント・アトリーと4年間のナチ強制収容所から帰ってきたフランスの元首相レオン・ブルム。ブルムはナチについての経験や奇跡的な脱出のことを話しに来たのだった。しかし、その晩はともすれば2週間前に広島に投下された原子爆弾について3人とも「二度と起こってはならないこと」という結論で一致した。それから16年。ベーカーは著書「軍備競争」のなかで米ソ両国を批判することになった。
 「今日、(旧ソ連の)フルシチョフ氏は彼の科学者たちがTNT爆弾100メガトンのーー5000の広島爆弾を一つにおさめたーー爆発力を持つ爆弾を作り上げたことを自慢している」。一方米国は「陸海空軍は核兵器を打ち込むための『何万という運搬手段』(航空機、ミサイル、潜水艦)を所有しており、それぞれの運搬手段には一つ以上の弾頭があるのだ。米国の陸海空軍は(ソ連の奇襲攻撃から)生き残るができることができるばかりでなく、その『第二撃』によって報復することができる」体制を築いた。
 この本の「訳者(前芝確三)あとがき」には出版と前後して起きた1962年のキューバ危機が書き込まれている。ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設することから始まり、米国のケネディー大統領が海上封鎖を実施し、核戦争が現実の恐怖になった歴史だった。
 歴史は繰り返されている。ベーカーは次のように述べている。
 「想像力はあらゆる人間の能力のうちでいちばん稀な、またいちばん弱い力であるのに、他方忘却する力ははるかに強いものだ、という衝撃的な事実がある」

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