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「自分はソクラテスではないが、食糧統制法の下、敢然ヤミと闘って餓死するつもりである」

 独立メディア塾 編集部

 山口良忠(1913年=大正2年11月16日~1947年10月11日)は東京地裁判事。食糧管理法違反など経済犯を担当していたが、闇市の闇米を自ら拒否した末に餓死した。表題の言葉は山口の「病床日記」から。内外のマスコミはソクラテスの「悪法も法なり」を貫いた山口を高潔な人と評価して称賛する一方、食糧管理法の運用などの問題点が指摘する意見も出され、賛否が分かれた。

 ウィキペディアによると、闇米を拒否した山口良忠は配給のほとんどを2人の子供に与え、自分は妻と共に汁だけの粥などをすすって生活した。
 父親・親戚・友人などが食糧を送ったり、食事に招待するなどしたものの、山口はそれらも拒否した。自分が職を離れたら「担当の被告人100人をいつまでも未決でいさせなければならない」ことになると療養も拒否した。9月1日に最後の判決を書いたあと、故郷の白石町で療養することとなったが、すでに手遅れだった。

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