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「長嶋から三振を取った」

 独立メディア塾 編集部

 吉田治雄(1935年4月6日~1995年10月17日)は元東京大学野球部のエース。卒業後、テレビ朝日に入社。群馬県立高崎高校の時代から投手として知られ、東大入学後もエースとして活躍した。60歳で死去。
 1957年、三日連投の末、明治大学を抑えて東大100勝目を挙げ、東大は8年ぶりに最下位を脱出した。表題の言葉は立教出身で巨人軍入りした長嶋茂雄氏による弔辞から。長嶋の言葉であると同時に吉田の言葉でもある。(「弔辞 劇的な人生を送る言葉」文芸春秋編から)

 吉田は現役時代(1954年~57年)に7勝42敗の記録を残した。テレ朝報道ステーションの大越健介氏(1981年~84年)は8勝27敗。大越氏は日米大学野球選手権の代表に選ばれた。
 東大歴代投手の中で、勝利数の一位は岡村甫(1957年 ~60年)の17勝35敗。岡村は東大工学部長などに就いた。二位は東武雄(1925年~1927年)の16勝32敗。東は東京都知事を務めた東龍太郎の弟。1927年春季の対立教大戦ではノーヒットノーランを達成した。

 長嶋の弔辞。
 「三年の秋のシーズンには、立教はあなたに二対ゼロで完封されました。私の四年間で東大に負けたのはその一試合だけです」
 「あなたはその試合で『長嶋から、三振を取った』と、ずっと自慢していたそうですね。あなたは速球に加えて、えげつないシュートを、内角すれすれに投げてきました。わざとそうしたのか、帽子をまぶかにかぶっていて、表情が読めず、バッティングのカンがつかみにくい、私にとって、苦手のタイプでした」

 会社で部下だった後輩は「仕事に厳しい人で恐れられていた」という。野球のボールの代わりにリンゴを部下に投げつけたエピソードも残っている。

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