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「私は倒れた馬にまたがる正義の騎士のようだった」

 独立メディア塾 編集部

 エリオット・ネス(1903年4月19日~1957年5月16日)はアメリカ合衆国の酒類取締官。禁酒法時代のシカゴは“向こう傷のアル”と呼ばれたアル・カポネ(1899年1月17日 -~1947年1月25日)が君臨し、支配していた。カポネは政治家や警官を買収し、密造酒の製造・販売の強大な組織を作り上げていた。
 ネスは戦いを前に、倒れた馬にまたがるような自分たちの非力さを痛感せざるを得なかった。にもかかわらず、密かに集められた10人足らずの取締官は「アンタッチャブル」の名前で呼ばれ、10人は「手の届かない連中」と恐れられるようになった。
 (「アンタッチャブル」エリオット・ネス著、井上一夫訳)

 米国では、1920年から1933年まで禁酒法によってアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された。1929年のシカゴはトミーガン、手榴弾、拳銃など暴力とカネに支配されていた。3000人の警察官、300人の酒類取締官を動員しても取り締まりは困難だった。
 ある日、シカゴ商工会議所で“秘密6人委員会”が開かれた。これがすべての始まりだった。ネスはカポネに対抗できる10人の遊撃班を選んだ。厳しい身体検査を合格して選ばれた遊撃班だった。
 密造酒の製造、販売、脱税などについての長い調査が続いた。その間に、ネスらへの買収工作も当然のように行われた。「あんたが手加減してくれれば、これだけの額、2千ドルを毎週欠かさずによこす」。高額な現金による買収だ。今までだったら当然のように受け取っていた警察官。しかし、厳選されたチームは受け取らない。ネスは封筒を突き返す。「2千ドルでも、1万ドルでも駄目だ」。買収の次はネスの車が盗まれる、という事件も起きた。

 ネスはシカゴの新聞社とニュース映画社を味方に巻き込む作戦に打って出た。2千ドル事件の直後、各社に重大な記者会見を開くと連絡し、カポネの使いが週2千ドルで買収しようとしたこと、それをたたき返したことなどのいきさつを詳しく伝えた。記事は1面で大きく扱われ、「エリオット・ネスと若いその部下の取締官たちは、アル・カポネの手もとどかないことを示した」と書かれ、写真説明に「手のとどかない連中(ザ・アンタッチャブル)」が使われ、アンタッチャブルが誕生した。

 「刑をマケルことはない」

 摘発されたカポネは1931年6月12日に出廷し、所得税法違反だけでなく禁酒法違反も認めた。しかし、所得税法違反は示談金を申し出た。この段階で、陪審員らも買収されていたと言われており、刑期も名目だけの実刑になることを本人が公言していた。しかしウィルカースン判事は「連邦裁判所の法廷では、“刑をまける”というようなことがない」と明言し、1931年10月24日、「11年の体刑と5万ドルの罰金」を言い渡した。「畜生目め!」カポネは高飛車な口調で言った。
 カポネは梅毒を患ったうえ、肺病で死んだ。禁酒法は「世紀の悪法」といわれながら33年まで続いた。

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