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「一頭の巨大な豚である。全く豚といふ他ない」

 独立メディア塾 編集部

 吉田健一(1912年=明治45年4月1日~1977年8月3日)が「交友録」で引退後の父、吉田茂(1878年=明治11年9月22日~1967年10月20日)について書いた。健一は文芸評論家、翻訳家、小説家。「ヨオロッパの世紀末」、「日本に就いて」などが代表作。
 父茂は総理大臣。死にあたり1967年10月31日、戦後初の国民葬が行われた。健一は喪主。

 国葬の日、授業もしていた吉田健一

 「吉田健一」(長谷川郁夫著)によると、吉田茂の国葬の日、大学教授だった健一は休むことなく授業を、掛け持ちで行った。野崎孝と大学院生の回想に記録されているという。国葬の日本武道館と神田・小川町の中央大学の間の往復。長谷川は「どんなふうに時間のやり繰りをしたのだろうか」と驚嘆している。野崎はサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』などの翻訳で知られている文学者。
 長谷川は葬儀について「大宰相の息子ともなれば“三文文士”も大げさな舞台に立たされて気の毒なことだ、と思った」と残している。
健一は豚発言に関して、もともと太る体質だった、といって大食いぶりを紹介している。「辻留の料理を一品も余さず食べたのは外国人の友達を除いては家の客になったものの中で父ひとりである」。吉田邸は辻留が出向いていた高級懐石料理店。
 茂は1952年、カメラマンにコップの水を浴びせる事件、翌年1953年には、質問者への「バカヤロー」発言が解散につながったバカヤロー解散など話題を集めた。

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