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「東京の下町そのものが失われた」

 独立メディア塾 編集部

 エドワード・サイデンステッカー(1921年2月11日~2007年8月26日)は著書「東京 下町山の手」を大正12年9月1日の関東大震災から初めている。明治の東京を象徴する建物が数多く焼け落ちた。しかし「最大の損失」は江戸の活力の源だった「町人の町」が失われたことだと嘆く。サイデンステッカーは日本文学作品の翻訳を通して、日本の文化を広く紹介したアメリカ人の日本学者、翻訳家。永井荷風らを愛し、必読ともいうべき下町論を残した。

 「予感はあった」とサイデンステッカーは書く。翌日が二百十日にあたるので毎年不安な思いで迎える日だったが、「災害は九月一日にやってきた」。
 かつて下町は人間が集まるところだった。今の渋谷のように混雑しているところを探したかったら、日本橋、京橋、銀座だった、という。幕末までさかのぼると上野広小路、浅草広小路、両国広小路が江戸の三つの広小路だったが、そのうち隅田川東岸の両国が完全にダメになった、と嘆いている。
 下町を書ける作家も減った。彼が愛した永井荷風は下町の存在感を肌で感じさせてくれるのに、高見順の「如何なる星の下に」になると希薄になり、戦後の武田麟太郎の銀座、丹羽文雄の渋谷では散漫になってしまったと不満だ。(「好きな日本 好きになれない日本」「日本との50年戦争 ひと・くに・ことば」)。
 「下町を銀座・上野から北と東ということにすると、この百年間に、つまり明治時代から著しく衰えたと言わなければならない」「文化も、そして作家や学者の住まいも明治時代には下町から流失し続けた」のだ。
 1958年、ロシアのボリス・パステルナークが『ドクトル・ジバゴ』でノーベル文学賞が決定したさい、受賞に不満だったソ連政府が受賞を辞退させた。青野季吉らが率いる日本ペンクラブはソ連政府を支持した。サイデンステッカーらは日本ペンクラブを批判するコメントを発表し、日本人作家では平林たい子が同調した。サイデンステッカーは平林が「日本の文壇、論壇が正気を失った」時期の戦友だった、と書いている。
 「源氏物語」の英訳のほか、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫らを海外に紹介した。2007年4月26日、不忍池を散歩中に転倒して頭部を強打、4カ月間の療養の後に死去した。86歳没。

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