夕日の中、原っぱに座って母の帰りを待っていた 1/9
 松尾 英里子 / 白鳥 美子
母と妹と一緒に 桂さん5歳の頃
「やっぱり、親譲りというのはあると思いますよ」
ご自身の性格について、そう話す桂さんに、ご両親について尋ねてみた。
「福岡生まれの父と仙台生まれの母。離れた土地で生まれ育った二人が出会ったのは、早稲田大学卒業後に逓信省(当時/今の総務省)に入った父が鉄道郵便の東北担当になり、仙台に地縁ができたのがきっかけだったようです」
母親の実家は工務店を経営していた。大学進学を希望していたが、ちょうどそのタイミングで実家の新築が計画されていた。「祖父(母の父親)がね、こう言ったらしいんです。家を新しく建てると、お前が望んでいる大学進学のお金は用意できなくなる。どっちかを選ぶしかない」
長女だった母親は、「大学にいければ自分はハッピーだけど、家族は古い家に住み続けることになる。だけど、新しい家が建てば、みんながハッピーになれる」と考えて、進学を諦めた。そんな家族思いの母親に、東京の役人である父親との見合いを世話してくれる人が現れた。「東京に行ったら、なにかチャンスがあるかもしれないよ」
桂さんは、父親がよく言っていたというこんな言葉を覚えている。
「お前は俺のところに嫁に来たんじゃなくて、東京に嫁に来たんだ」
実際、母が上京して真っ先に希望したのは、文化服装学院への入学だった。大学での勉強を諦めた代わりに、手に職をつけて収入を得たいという思いがあった。当時、日本は景気が悪くて、役人の給料だけでは夫婦二人で生活するのが精いっぱい。とはいえ、外で働くのは、今のように保育施設が充実していないこともあって、子どもが小さいうちは難しい。縫物や編み物のような「内職」で少しでも稼ごうという目論見だった。
その頃、父方の祖父が福岡で経営していた地方新聞社が不景気のあおりを受けて倒産、祖父母も東京で一緒に暮らすことになった。
「私はその頃、まだ3つくらい。面倒を見てくれる人ができて、母は安心して文化服装学院に通えたようです」
当時住んでいたのは、東京都の東の外れ、江戸川の向こうは千葉県というエリアで、最寄り駅の小岩からも1キロくらい離れていた。田んぼや畑がまだたくさん残っていて、毎日のように近所の男の子が「ゆみちゃん、遊びましょう」と誘いに来る。田んぼには溝があって、男の子たちはひょいっと飛び越える。
「私も真似をして飛んでみるんだけど、落っこちちゃって、びしょ濡れ。濡れたままうちに帰ると、祖母が本当に嫌な顔をする。次からはもう、男の子と外で遊ぶのはやめなさいって言われるのね。でも、そう言われると余計に行きたくなって、また溝に落ちちゃう」
「十中八九は落っこちちゃうのよ」といたずらっ子のように笑う桂さん。そのうち、濡れたまま一人で帰ると祖母に叱られるが、母親の帰りを待って、後ろに隠れるようにして一緒に帰れば叱られずにすむことに気づいた。
「だから、夕日が落ちるころ、濡れたまんまで、原っぱの中にある大きな石に座ってお母さんの帰りを、よく待っていたわ」
■桂由美さん プロフィール
東京生まれ。共立女子大学卒業後フランスに留学。1965年、日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動を開始し、同年日本初のブライダル専門店をオープン。パリやNYをはじめ世界30か所以上の都市でショーを開催し「ブライダルの伝道師」とも称される。自身の名から命名された「ユミライン」を筆頭に、他に類を見ないウエディングドレスは世界中の花嫁を魅了し続けている。1993年に外務大臣表彰、2019年には文化庁長官表彰を受賞。
https://www.yumikatsura.com/