日曜日は、父と本屋さんへ 2/9
 松尾 英里子 / 白鳥 美子
母親お手製のニットの洋服を着た桂由美さんと母
日曜日は、父と本屋さんへ
文化服装学院で様々な技術を身につけた母は、どんどん仕事を増やしていった。お茶の水に主婦の友社の店があって、毛糸をたくさん置いていた。そこで、セーターやカーディガン、ストッキングなどの編み物の注文とともに毛糸を大量に預かって帰ってきては、近所の人たちに分担していた。編み方も教えるし、デザインの相談にも乗る。授業料をとらずに教えてあげるので、非常に喜ばれたという。ますます忙しくなる母に対して、面白いのは、父の態度だったと桂さんは振り返って笑う。「母のやっていることに、何にも関係しないの。普通なら、ちょっと手伝ってやろうかとか何かあると思うんだけど」
記憶の中のお父さんは、とてもやさしくて温かい。
「日曜日は役所が休みだから、駅のそばに連れてってくれて、いろんなものを買ってくれる父でした」
その頃、桂さんが特に買って欲しかったのは、人魚姫やシンデレラのような物語の本だった。夢中で読み終わり、「読んじゃったから、また買って欲しい」と母にねだっても、「そんなに毎週買ったら家計が持ちませんよ」と怒られる。でも、父親は、「じゃあ今度の日曜日にね」と言ってくれる。日曜日になると、父と娘は朝早くから出かけて、帰ってくるのは夕方だ。ある日の夕方、母親が学校から帰ってきた後も、二人がなかなか戻らないことがあった。心配して外でうろうろしていると、隣のおばさんが「ゆみちゃん、3歳で、もう本が読めるんだね、すごいね」と声をかけてきた。何のことかと思えば、本屋の前にぺたんと座って本を開き、「シンデレラは靴を落として…」なんてページをめくりながら読んでいて、それを大勢の人が取り囲んでいるのを見かけたらしい。
「文字が読めたわけじゃなくて、前の日に読んでもらって覚えている話を、ページをめくりながらしゃべっていたから、読んでいるみたいに見えただけなのよ」
そんなふうに、外でもいったん夢中になると、何時間でも本を読み続けることがあったが、父は決して止めようとはしない。「だから、帰りが夜になることも多かった」という。妻が学校に行くことも、その後、洋裁学校の経営を始めることになったときも、一切余計な口を出さない。幼い娘が好きなことに夢中になっている間は、好きなだけそうさせておく。ただし、本好きが高じて幼い桂さんが父親の本棚を漁って手当たり次第に読み始めたときだけは、一部の(「おそらく恋愛ものの本だったんでしょうね」と、桂さん)本にこう書かれたという。「由美、13歳にして読むべし」。
よほどの大きな愛情の持ち主なのだろうと思うが、桂さんはクスクス笑いながら「あんまり人の話を聞いていないだけかも」と振り返る。母親の学校経営が順調に成長し、それに伴い学校と自宅を駅に近い場所に移したときに、全くその話が耳に入っていなかった父親は引っ越し当日も元の家に帰った。自宅が真っ暗で空っぽなのに驚いて、ご近所の人に「うちの家族はどこに越してしまったんでしょう」と聞いて回ったというエピソードは、その後長い間、語り草になった。
■桂由美さん プロフィール
東京生まれ。共立女子大学卒業後フランスに留学。1965年、日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動を開始し、同年日本初のブライダル専門店をオープン。パリやNYをはじめ世界30か所以上の都市でショーを開催し「ブライダルの伝道師」とも称される。自身の名から命名された「ユミライン」を筆頭に、他に類を見ないウエディングドレスは世界中の花嫁を魅了し続けている。1993年に外務大臣表彰、2019年には文化庁長官表彰を受賞。
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