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鯨の煮物と小さな青いリンゴ 4/8

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

 家族を順に疎開先に送り出した直後、名古屋に一人残っていた父は、空襲警報が鳴っても、もう守るべき人たちもいないし…と、防空壕に入らなかった。
 「そうしたら、その防空壕に直撃弾が落ちて、父は、入らなかったことで助かったんです」
 離れ離れに住んでいるので、そんな知らせをもらったのも、ずいぶん後になってからだった。各地の戦況はますます悪化し、ついには福島市からも疎開が必要な状況になり、父の実家の福島県二本松市に移った。


福島疎開中の写真

 「いつでも食べるものはなかったですね」
 いつだったか、汽車で通学をする禮子さんに、祖母が鯨を煮たおかずをお弁当箱一杯に詰めて持たせてくれた。「みんなで分けて食べなさいよ」って言われていたが、汽車の中で一つつまんだらあまりのおいしさに手が止まらなくなって、全部食べ切ってしまった。
 「今でも、なんだか後ろめたいです」
 中学校は、福島第一高等女子学校を受験。受験勉強を相当頑張ったという禮子さんだが、試験は「世界地図を見せられて、どっちが南かを答えるだけ」だったという。「それで、合格ですよ」
 入学したものの、授業はほとんどなくて、軍手を縫い合わせる作業や近くの農家の手伝いなどに駆り出された。桃農家だったので、手伝いに来る中学生たちに、農家の方々は「実がなったらあげるから、取りに来なさいね」と言ってくれた。食べ物のない時代、その言葉がありがたかった。桃の実が成る時期を迎えたとき、自宅から汽車を乗り継ぎ、さらに長い距離を歩いて農家さんを訪ねていった。
 「妹や弟に食べさせたくて、一人で向かいました」
 だが、訪ねてきた禮子さんに、農家さんは申し訳なさそうにこう言った。
 「桃は全部、軍に供出しないといけなくなった」
 軍に渡すべきものを、たった一つでももらうわけにはいかない。がっかりする少女を不憫に思ったのか、「小さな青いリンゴを5つ、くださいました」。

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