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大阪府ランキング3位~卓球漬けの高校時代 6/8

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

 金沢の町は「(空襲で)焼けなかった」ので、戦争の影響をあまり受けていないように感じたという。日本海の魚も豊富で、食べ物にもさほど困らなかった。「おいしい和菓子もたくさんありました」
 冬にたくさん雪が降ったときには、雪で滑り台をつくって滑って遊んだりもした。それだけを聞くと楽しそうだが、「金沢の冬は、空が真っ暗。洗濯物が凍っちゃって乾かない」ことには閉口した。当時住んでいた家には立派なお風呂があったが、湯を沸かすための焚き物が無い。仕方なくみんな銭湯通いをするので、いつ行ってもごった返していて、お湯はどろどろだったという記憶もある。編入した学校には日本舞踊のクラブがあって、同級生たちが着物を着て踊っていた。
 「焼けていない土地の人たちと、焼けちゃった私たちは、ちょっと違う感じがしました」
 お正月の振袖以外に着物を持っていなかったので、少し憧れは持ったものの日本舞踊を諦めた禮子さんは、どんどん卓球に夢中になっていった。
 そして、金沢から、大阪へ。またもや父親が転勤となった。卓球部のある府立高校を狙っていたが、転入日の関係で許可が下りず、仕方なく入った私立高校には卓球部が無かった。どうしても卓球部のある学校に行きたくて、一年後、ようやく府立高校に編入。念願の卓球部に入り、卓球漬けの日々が始まった。ここで、大阪府ランキングで3位に入るほどの実力を身につけた。
 「大学は、これ以上お父さんの転勤について歩くのも大変だから、寮がある奈良女子大学に行きなさいって、母から言われたんです」
 だが、奈良女子大学は当時も今もハイレベルな名門校、「試験がすごく難しくて、落っこちました」
 さて、どうしようか――。父の次の赴任先は福岡だった。福岡に行こうかどうしようか悩んでいるときに、たまたまばったり会った友達が、これから大阪学芸大学(現・大阪教育大学)の2期募集に申し込みに行くという。一緒について行って申し込み、試験を受けたら、合格。大阪での大学生活が始まった。



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