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蔵の中のオルガンと『バイエル』 5/8

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

 「それでも、私は恵まれている方でした」
 禮子さんの最初の疎開先である福島市の母親の実家も、その後移った二本松の父親の実家も、敷地内に複数の蔵を持つ裕福な家だった。
 「母の実家には蔵が4つあって、そのうちの一つの中に大きなオルガンと『バイエル』が置いてありました。毎日、そこで独習で稽古をして、バイエルの曲は全部弾けるようになったんですよ」

 蔵の中には、母親が子どもの頃に愛読していた『令女界』という少女雑誌もたくさん残されていて、読書好きの禮子さんはそれを読むのも楽しみの一つだった。
 「だから、あんまり戦争のことは考えなかったですね。ただ、祖父が、『この戦争は日本が負ける』って言ったときに、そんなことを誰かに聞かれたら大変だよって言ったのを覚えています」
 終戦は、二本松で迎えた。玉音放送はみんなで集まって外で聞いたというおぼろげな記憶がある。灯火管制で戦時中は真っ暗闇だったが、一斉に明かりが灯り、「夜が明るくなったこと」がとても嬉しかったという。さらに嬉しかったのが、「二学期の始まりが、9月1日から10日間くらい後に延びたこと」だと笑う。
 「勝ったとか負けたとか…、そんなのは関係なかったですね」
 父親は、この時期に名古屋から金沢に転勤になった。母と禮子さん、弟妹は汽車で金沢に向かうことになった。途中、乗換駅の新潟・直江津で一泊。当時は、宿代の他にお米を持っていく必要があった。お米や荷物を抱えて宿に向かう道は、どこまでも長く、とても暗かった。
 「ほんとうに泊めてもらえるのか、とても心細かったことを覚えています」
 そして、無事に到着した金沢で、一家そろっての暮らしが再開し、禮子さんは卓球と出会った。





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