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2020年8月号

自由の女神は白人か黒人か

 独立メディア塾 編集部

 米国の象徴である自由の女神。黒人差別で揺れている米国に似つかわしくない像にも思えますが、この女神像は白人でしょうか、黒人でしょうか。当たり前のことを聞くなと叱られそうですが、かつて議論になったことがありました。答えは後ほどお伝えしましょう。
 この像が生まれる発端は英国との戦争です。1775年、国として認められずに「13植民地」と呼ばれていたアメリカ大陸。その植民地軍がイギリス本国からの独立戦争を始めました。フランスが植民地軍を支援し、1776年7月4日に米国は「独立宣言」に至りました。
 それから100年。フランスの法学者で政治家のエドゥアール・ド・ラブレーが独立100周年を迎える米国に両国の友情の証となるモニュメントの寄贈を提案しました。1865年のことです。当時、米国は南北戦争やリンカーン暗殺で混乱のさなかにありました。

  母の顔と妻の腕の「緑人」

 「自由の女神」の正式名称は「世界を照らす自由 (Liberty Enlightening the World)の像」。設計は1874年にラブレーが依頼した彫刻家のフレデリク・バルトルディ(1834年生まれ)でした。
 ここで冒頭の女神の人種に戻りますが、発案者のラブレーが奴隷制廃止論者だったので解放された奴隷を記念したという説が、1990年代に生まれたようです。
 しかし右手にトーチを高々と掲げた自由の女神の姿は、ウジェーヌ・ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』を参考にしたと言われています。そう、右手にフランス国旗を掲げ、左手に銃を持って、上半身をはだけたまま突き進むマリアンヌの絵です。テーマは1830年7月のフランス革命といわれています。
 さらに女神の顔はバルトルディの母親シャロットがモデル。トーチを掲げる右腕は妻のジャンヌ・エミリーがモデルだそうです(「自由の女神物語」=小田基著)。だとすると人種はおのずから絞られてきます。しかし答えは黒人でも白人でもありません。なんと「緑人」。自由の女神は銅製だったので緑青によって緑色っぽくなっていたからです。争いを巧みに避けて、笑える答えを用意する知恵に心底感心させられます。

  「女性を排除」と除幕式で抗議

 右手には純金の炎が燃えるトーチ、左手にはアメリカ合衆国の独立宣言書。独立記念日である「1776年7月4日」がローマ数字で刻印されています。台座には後に米国の詩人エマ・ラザラスの詩(注)が刻まれました。
 足元には引きちぎられた鎖と足かせ。弾圧、抑圧からの解放と、人類は皆自由で平等であることを象徴しています。女神の冠にある七つの突起は七つの大陸と七つの海を示しています。身長は33.86メートル、台座部分も含めると93メートル)、総重量は225トン。
 台座の礎石にはフランスからニューヨークのフリーメーソンに贈られたと書かれています。

 1886年10月28日、大勢の人がニューヨーク港に集まり、像の除幕式が行われました。しかし祝福のために集まった多くの船の中に「ニューヨーク州女性参政権協会」の船がありました。船からは「政治的自由からの女性の排除」に抗議する声が上がりました。理由は「式典に参加した600人に及ぶ来賓者のうち実に598人が男性であった事実」(エリック・フォーナー著「アメリカ自由の物語」上)からです。
 それから再び100年。自由の女神像は1984年に世界遺産(文化遺産)に登録されました。
 米国が真に自由・平等を誇る国になるのはいつのことでしょう。

(注)エマ・ラザラスの詩
「Give me your tired,
 your poor,
 Your huddled masses yearning to breathe free,
 The wretched refuse of your teeming shore.
 Send these,
 the homeless,
 tempest-tossed to me,
 I lift my lamp beside the golden door!”
 Emma Lazarus, 1883」
(疲れ果て、貧しさにあえぎ、自由の息吹を求める群衆を、私に与えたまえ。人生の高波に揉まれ、拒まれ続ける哀れな人々を。戻る祖国なく、動乱に弄ばれた人々を、私のもとに送りたまえ。私は希望の灯を掲げて照らそう、自由の国はここなのだと。
 エマ・ラザラス=意訳 青山沙羅)
 <ウイキペディアから>

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