いつも「みんなのため」、「日本のため」 5/9
 松尾 英里子 / 白鳥 美子
1965年 日本初のブライダルデザイナーとして活動を始めた当時
それぞれにマイペースで個性的な「我が道を往く」タイプの両親だったが、共通していたのは「みんなのため」「日本のため」を当たり前のように考えていることだった。
「父は公務員だから、それはもう当然。日本のため、みんなのために生きていました」
母親も、それは同じだ。手に職をつけようと覚えた洋裁で、どんどん仕事が入ってくるようになったとき、近所の人たちに自ら指導してまで分担する必要はなかったはずだ。だけど、桂さんの母親は「みんなが手に職を持てた方がいいでしょう」「少しでも収入が増えると、みんなが嬉しいでしょう」という気持ちで自然に動いていた。学校をつくったのも、それで儲けたいとか、事業家になりたいということではなく、ただ、人々が求めているなら手を差し伸べたいという思いからだった。それは、桂さんが、ブライダルにまつわる様々な活動を通して幸せな人たちを増やそうと活動されてきたことにも通じる。その点を問うと、「あら…」と少し驚かれたような様子なのが印象的だった。
「たしかに、その点は親の影響を受けたかもしれないですね」
きっと、そういう生き方が当たり前すぎて、自分では意識していなかったのだろう。ゆっくりと、こう、言葉を継いだ。
「自分の利益のために何かをやろうと思ったことは、これまで一度もないですね。何かで利益を得ようとするのは、次にやりたい何かに役立つからやるのであって、私自身のため、たとえば贅沢をするためになんてことは、まったく、考えたこともありません」
1964年12月末にオープンした日本初のブライダル専門店・桂由美ブライダルサロン
■桂由美さん プロフィール
東京生まれ。共立女子大学卒業後フランスに留学。1965年、日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動を開始し、同年日本初のブライダル専門店をオープン。パリやNYをはじめ世界30か所以上の都市でショーを開催し「ブライダルの伝道師」とも称される。自身の名から命名された「ユミライン」を筆頭に、他に類を見ないウエディングドレスは世界中の花嫁を魅了し続けている。1993年に外務大臣表彰、2019年には文化庁長官表彰を受賞。
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