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42歳で出会った相手は
「36回のお見合いをした」という53歳、大蔵官僚。 6/9

  松尾 英里子 / 白鳥 美子


 桂さんがブライダル専門店を開いたころは、たった3%だったという結婚式でのウェディングドレス比率。それにはいくつもの理由が絡み合っていた。自分や相手の両親などの世代の和装信仰も根強かったが、そもそも手ごろな価格でドレスが手に入らなかった。ウェディングドレスは海外のファッション誌の写真などを見てオーダーするしかなく、出来上がったドレスはイメージと違う、サイズが合わない、着てみたら似合わないという悲喜劇が起きていた。さらに、ドレス以外の小物、たとえば手袋や白いハイヒールなんてどこにも売っていない。「ないない」尽くしに心折れて諦めていく女性のために、桂さんは一つひとつ、障壁を取り除いていった。結婚式の日に、ドレスを着て輝く笑顔の花嫁さんになってもらいたい、それだけを願って母親の経営する洋裁学校の先生を務めながら、二足のわらじで走り続けた。
 気がつけば、40代になっていた。それまでに自らの結婚について考えたことももちろんあったが、桂さんには譲れない結婚の条件があった。
 「まず、尊敬できる人であること。そして、きちんと自分の仕事を持っていて、私の仕事を手伝おうとしない人がよかったんです」
 そして、紹介で出会ったのが、のちに夫となる結城義人さんだった。大蔵省(当時)勤めで安定した地位と収入があるため、条件がいいからとお見合いには引っ張りだこ。桂さんの前に36回のお見合いがあったという。ただし、早くに父親を亡くし、母と同居していたこともあって、「幸せに育ったお嬢さんに同居で苦労させることになる…」と、本人に会わずにお断りしたこともあったらしい。
 「私の時は、ファッションデザイナーという職業を持っているということが、少し興味を引いたみたいでした」
 初めての顔合わせ場所は、ホテルオークラ。初夏で、汗ばむほどの暑い日だった。お世話人から「お相手は大蔵省という固いお役所の方ですから、必ず着物で来てください」と言われていたので、仕方なく着物で出かけた桂さんだが、これには後日談があり、結城氏は後にこう言っていたという。
 「ファッションデザイナーとの見合いだから、どんな人が現れるかと勇んで行ったのに、着物を着た女が現れてがっかりしたよ」
 だったら、あんな暑い中、わざわざ重い着物を着て行かなくてもよかったのに…と、これは結婚後に夫婦の笑い話の一つになった。


結婚披露宴の写真






■桂由美さん プロフィール
東京生まれ。共立女子大学卒業後フランスに留学。1965年、日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動を開始し、同年日本初のブライダル専門店をオープン。パリやNYをはじめ世界30か所以上の都市でショーを開催し「ブライダルの伝道師」とも称される。自身の名から命名された「ユミライン」を筆頭に、他に類を見ないウエディングドレスは世界中の花嫁を魅了し続けている。1993年に外務大臣表彰、2019年には文化庁長官表彰を受賞。
https://www.yumikatsura.com/

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