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「毎月の食費の10万円、3年間渡せないけど大丈夫か?」 7/9

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

 大蔵省造幣局長を務めあげて、民間の金融機関に籍を移していた結城氏は、ある日、仕事の合間に通っていた図書館で弁護士試験を受けるという知人に出会った。これから7科目の勉強をしないといけなくて大変だ、とこぼしたあとに「結城さんはすでに高等文官試験に通っているからうらやましい」と言われた。東大から大蔵省に入るときに必要なものだったので確かにクリアしているが、それがあれば司法試験のうち3科目が免除になるという。
 「ということは、あと4科目でいいのか」
だったら挑戦してみようかな、と、結城氏は司法試験という難関に臨む決意をした。
その頃、結城氏は、桂さんに「自分の食費だ」と言って毎月10万円を渡していた。「3年間、渡せなくなるけど大丈夫か」と突然言われたが、桂さんは動じない。「私も働いているから、そのくらい大丈夫。だけど、どうして?」と聞くと、「司法試験を受けてみようと思うんだけど、どうだろう」と返ってきた。
 「やったらいいんじゃないの」とすぐに答えたという桂さん。美しき夫唱婦随…と言いたいところだが、桂さんが考えていたのは(私の仕事を手伝われるのは困る!)ということだったのよ、と、フフッと笑う。
 当時の弁護士試験は、今以上に非常に厳しい難関だった。結城氏も、一度目の試験は残念ながら不合格。アメリカ出張中の夫に代わって桂さんが雨の中発表を見に行ったが、番号が見つけられず、念のため翌朝もう一度見に行ったが、やはり合格者の中に番号はなかった。新しい法律の知識や情報の不足を痛感した結城氏は、東京大学に入り直すことにした。「保証人になれるかって言うから、名前書くだけならできるわよって」
 そして、晴れて二度目の東大生になった結城氏は、若い学生たちから始終「先生」と間違われては学生証を出してびっくりさせるのを楽しんでいたという。
 2度目の挑戦で、合格。当時(昭和54年)の最高齢合格(60歳)だった。


新婚時代の一枚。週刊誌の取材時に撮影されたもの






■桂由美さん プロフィール
東京生まれ。共立女子大学卒業後フランスに留学。1965年、日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動を開始し、同年日本初のブライダル専門店をオープン。パリやNYをはじめ世界30か所以上の都市でショーを開催し「ブライダルの伝道師」とも称される。自身の名から命名された「ユミライン」を筆頭に、他に類を見ないウエディングドレスは世界中の花嫁を魅了し続けている。1993年に外務大臣表彰、2019年には文化庁長官表彰を受賞。
https://www.yumikatsura.com/

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