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18年間の結婚生活。結城義人氏、平成二年に永眠。享年71。 ~集まった、たくさんのエピソード 8/9

  松尾 英里子 / 白鳥 美子


 「二十年早く会いたかった」という言葉がプロポーズだったという桂由美さん・結城義人さんご夫妻。結婚後のお二人は、酒の肴に、互いの幼い日の話をよく語り合ったという。結城氏は弁護士、桂さんはデザイナーという多忙な仕事を持っていたため、ゆっくりと旅に出たり休暇を一緒に楽しんだりしたことはほとんどなかったというが、その合間を縫って、桂さんの海外出張にスケジュールを合わせて結城氏が合流したことが何度かあった。あるときは、イスタンブールの空港で待ち合わせというまるで映画のワンシーンみたいな一幕もあり、また、パリでの夜はお互いが日中の仕事を終えた後に、オペラ座でバレエを楽しんだ。そして常に、行く先々でも、たくさんのことを語り合った。
 生前に「通夜や葬儀は一切無用」と言っていた遺志を守り、訃報は新聞掲載のみ。現役弁護士として活躍中の若き死に、結城氏を知る多くの人が驚き、深く悼んだ。
 桂さんは、ご自身が大切な人を見送る立場になったとき、
 「遺族にとって最もうれしいのは、故人についての生前のエピソードを聞くことだと悟った」と、自らが編まれた追悼誌『正義の味方 弁護士 結城義人』の中で綴っている。この本には、政財界はもちろん、弁護士仲間、学生時代の友人たちなど、関わった多くの方からたくさんのエピソードが寄せられた。
 非常にユーモア感覚のある人だったようだ。桂さんがこんなエピソードを教えてくれた。
 弁護士になったばかりの頃、事務所を探していた結城さんは、乃木坂の桂由美ブライダルハウスを建てたばかりの桂さんに、スペースが余っているなら3階の奥の半分を貸してほしいと言ってきた。仕事が増えたら丸の内あたりに引っ越すのだろうと思い、「いいわよ」と答えた桂さんに、結城さんはこんなことを言ったという。
 「ドレスの案内には、結婚はこちらへと矢印で案内して、弁護士事務所には、離婚はこちらへって矢印をしておくのはどうかな」
「そんなことするなら、絶対に貸しません!」と答えた桂さんだが、今でも思わず笑ってしまう思い出だという。機知に富む結城さんが、妻を相手に面白がっている遊び心が、今も心を温めてくれる。

 そんな結城さんは、桂さんについてのインタビューで、こんな言葉を残している。  「ウェディングドレスに一生を賭けるなんて、自分では考えられない。一筋の道をこれだけ努力すればこのくらいになるという好例じゃないですか」


結城義人氏の生前を知る方々に自ら依頼し、集めた追悼文集。編集も桂さんが手掛けた






■桂由美さん プロフィール
東京生まれ。共立女子大学卒業後フランスに留学。1965年、日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動を開始し、同年日本初のブライダル専門店をオープン。パリやNYをはじめ世界30か所以上の都市でショーを開催し「ブライダルの伝道師」とも称される。自身の名から命名された「ユミライン」を筆頭に、他に類を見ないウエディングドレスは世界中の花嫁を魅了し続けている。1993年に外務大臣表彰、2019年には文化庁長官表彰を受賞。
https://www.yumikatsura.com/

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