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「ギャラ」目当てで、絵を描いた子ども時代 2/6

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

誰に教わったわけでもないが、幼い頃から絵を描くのが好きだった。とはいえ、当時、一般の家庭にある「絵」といえば、掛け軸だけ。心をつかむ「絵」との出会いは、外にあった。
その頃、子どものスポーツと言えば相撲が主流で、学校には二宮金次郎の像と共に土俵が必ずあったという。休日、友達と相撲をしようと出かける通り道に明治座があった。歌舞伎だけでなく、大衆演劇や新派の舞台がかかることもあり、演目が入れ替わる際には看板の付け替えが行われる。
「帰り道に、大きな看板が下ろされて地面に置かれていたのをしゃがんでじっと見ていました」
弁慶と義経、あるいは国定忠治の名場面。
「すげえ!」という感動をそのまま、伝票の裏に描いて祖母に見せた。
「ひろちゃん、うまいわねって、おばあちゃんが金平糖やかりんとうをくれるんだよ」
それに味を占めて、近所の人たちにも絵をかいて「今、明治座でやっているよ」と言いながら配ると、「ちょっと待ってね」と奥に入って、おせんべいを3枚くらい袋に入れて持ってきてくれる。
「僕が絵を好きになったのは、こういうギャラがもらえたからです」
あの頃は、子どもが何か手伝いをすると、大人は必ずお菓子をくれた。下町の挨拶は「ご飯食べた?」だったという。「まだだ」と言うと、「じゃあ、上がって食べていきな」と言ってくれる。
「うちにも、よその子が上がり込んで、よく夕飯を食べてました」
そんな下町の温かさに包まれて暮らした少年時代だったが、空襲で全部焼けてしまったあとは、街並みも人も、すっかり変わってしまった。
「あの人情は、今はもうないですね」


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